時間を前借りして生きるという考え | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

平日は、夜更かしして次の日寝不足なんてことは良くあること。

そして、休日に爆睡して半日ほどの時間を使うこともしばしば。

これを考えてみると平日に時間を浪費して、休日の時間を前倒しして使ってしまっているんだなぁなんて考えてしまいます。



前借して使う時間


こういういことを考えてみたら、結構思い当たることはあったりします。

酒飲み過ぎて次の日は二日酔いで一日使い物にならなかったとか、面倒な仕事は明日やろうと持ち越したりとか、来週から本気出すといって全然やらなかったりとか。

何れにせよ、一時の楽しみに時間を費やした結果、それ以上の時間を失ったり、今できることをやらないことで、そのツケをどこかで補填しなければならない状況になったり、先に使える自由な時間を前倒しで使っているだけなわけです。


また、人間の生活のリズムが変化し、一日という単位が日付とイコールにならない状況では、今日と明日の区切りは、単に睡眠をはさむかどうかという結果になってたりします。

なので、手っ取り早く今日という日を延ばすのは睡眠を削ればよいとか考えたりもします。

その結果、先に書いたようにどこかでその疲れを取らないと体が持たなかったり、体調を壊してそれ以上の時間を失ったりもします。

今日という日を削れば、おのずと明日という日が延びるのに、それに目をそむけて今の時間を大切にしがちになります。


まぁ、そんな細かいこと気にしてられないよというのもそう思いますし、単に規則正しい生活をしていればいいというわけではないでしょう。

その時間というものをどう使うかということに価値があるわけで、単に使える時間が沢山あっても浪費するだけであれば、失う時間とさほど使い方は変わらない気がします。

なので、時間を浪費するということは贅沢なことなんだな、と感じたりもします。



前借りした時間の補填先


時間を前借りできるというのは、未来にその時間があるという考えがあるからなんですが、実際のところはそもそも将来の時間というのはいつまであるか誰にもわからなかったりします。

当たり前に明日やれば言いやなんて思いますが、明日が確実にあるなんて誰にもわからなかったりします。


まぁ、あまり明日があるのかどうかなんて真剣に考えることは無いでしょうけど、今失った時間の補填先は明日であるとは限りません

明日には明日で、時間を浪費する何かが誕生するかもしれませんし、明日の自分がそれをやる保障も無かったりします。


そうやって今という時間を浪費してしまっていると、あの時やっておけばよかったと思う結果になるのだろうな、と感じたりします。

時間は年齢を重ねても平等に存在しますが、今の時間と未来の時間で使える自分自身の能力は大きく異なってきます

今使う時間と10年後に使える時間というのは、全く違う質のものなんだろうなと。

例えば、結婚したりして生活のリズムが大きく変わってしまったら、使おうと思った時間をそこで捻出することも難しくなるでしょうし、あくまで今のままという前提で考えがちですが、それが崩れている可能性も大いにあったりします。


そう考えると未来の時間を当てにすることは随分と危険な考えなのかな、と思ったりもします。

今の時間でできることというものを考え、今の時間を十分に使いこなしていくことが大事なんだろうなと。

面倒なことを今片付けてしまうことは、未来の時間を自由に使えるようになるということにもなるでしょうし、今日を犠牲にすれば、明日が救われるというのもいえるのかなと思います。


その空いた未来の時間を自由に使えると感じられれば、凄く贅沢な瞬間をすごしていると思うのでしょうね。