減っていく失敗できる環境、増えていく失敗できない環境 | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

失敗できる時代を生きていた人は幸せ @ Geekなぺーじ


私は幸せものだったのかもしれません。

私が入社した当時、先輩といわれる人が一人もおらず、何をやるにしても道しるべが無い私たち新入社員は失敗をせざるをえない環境でした。

いや、何も失敗をしようとして失敗していたわけではなく、失敗しても良いやと思って失敗していたわけでもありません。

単に「何かに気づくタイミングが失敗した時だった」だけです。


そんなの事前に予測し、それを回避する努力をすべきだというのは最もなのですが、経験の浅いメンバーでそれを回避しようと努力してもいつかは失敗にぶち当たります。

そこで気づき、落ち込み、それを回避する術を覚える事ができました。

その失敗と回避のスパイラルで自分は少しずつ成長ができたのだとも感じます。


しかし、最近は確かにそのような環境は少なくなりました。

「失敗を恐れるな!」といったところで、その失敗できる環境が無いわけです。

整備されたIT環境や運用マニュアルがあり、それの通りにやっていればとりあえず業務は回ります。

そこで失敗すれば、「この失敗を活かそうね」ではなく「なんでマニュアルどおりにやらないの?」となります。

失敗できる環境は、未開拓な環境の中でしか存在し得ないのかもしれません。


その繰り返しで開拓された環境は、やがて失敗できない環境となります。

なんせ先人の叡智がそこにはあるのですから、新参者が同じ失敗をしても、先ほど言ったとおりに「ほらいわんこっちゃ無い」という雰囲気がそこにできてしまいます。


ただ、新参者にとっては整備されたIT環境や出来上がった運用マニュアルが、何故そのような形でそこにあるのかがわかりません。

過去の経験からというのは予想が付くでしょうけど、その裏に隠された歴史が分からないのであれば何故、今の形となったのかも納得もできません。


そして、失敗の余地の無い環境に住まう事となったものにとっては、「とりあえずマニュアルどおりにやろう」という事で、その他のリスクを考えなくもなります。

また、失敗を恐れる人よりも失敗の怖さを知らない人のほうが多い気もします。

個人情報漏洩などのニュースが大きく取り立たされる昨今で、確かにそれは問題なのですが、それを予防するために整備された環境こそが、失敗への複線になっているように感じてしまいます。


失敗をしてもよい環境を与えてあげるだけでも重要な経験と、新たな成長の機会を与える事ができるのではないかと強く感じます。

失敗は教わるものではありませんが、そのような体験ができる環境を用意してあげる事も必要ではないでしょうか。