人に認められることってなんだろうね | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

本ブログを度々取り上げていただているDONTAKT なんですが、その編集後記にこんなコメントが


編集後記:私は今日「お前はナマケモノだ」と言われてしまった。昼間に寝ていて仕事をしていないように見える私は「ナマケモノ」なのだそうだ(実際は仕事をしている)。さすがにショックでもあったのだが、これを言われて思ったのが「他人に認められる」ことって結構大変なことなのだなぁと。

ということで言っておきたいことが一つ。このDONTAKTに紹介されている記事は私が面白いと感じた記事なので、ここで紹介された以上少なくとも一人の読者に認められているよ、って言いたい。

確かに人に認められるということは簡単なことではありません。

簡単に言ってしまえば、人は自分にとってメリットが無い限り他人を認めることは無いかと思います。


ただ、誰か特定の人に利益を与える(その人から認められる)ことよりも、不特定の誰かに利益を与える事の方が簡単にできます。

例えば募金です。

そのわずかなお金でも誰かの元に届けば、誰かの助けになります。

また、道端に落ちているゴミを拾うだけでも、その地区を美化した事で住民にメリットを与える事ができます。

それに対して感謝の言葉を直接貰う事はほとんどありませんが、その裏で自分を助けてくれている人がいると名も知らぬ誰かに感謝の気持ちを持っている人はたくさんいるかと思います。


問題は、その与えたメリットに対して「与えたんだから認めてよ」という思いが働いてしまう事ではとないかと。

これを考え出すと、与えたメリットに対して等価の対価を求めてしまうようになります。

こうなってくると、与える方もメリットと言うものを考えてしまいます。


対象は、この利益を与えるだけの人か?とか

その利益を与える事により、自分が享受できるものは何か?とか

あの人から享受できる利益は、たかが知れてるだろうからここまでしかやらないでいいか、とか。


こうなってくると、人に認められるということを考えない生き方のほうが健全のように思えます。

私も普通の人なので、メリットを天秤にかけることはしばしばあります。

このブログだって、書いた苦労に見合うアクセス数が欲しいと思ったりすることもあります。

ただ、そんな自分のメリットばかりを考えるとそもそもブログなんて書けません。

自分の頭の中を整理するためにブログを書いているなら、クローズした世界で日記を書くだけでよいわけです。

わざわざネット上に解放する必要なんてありません。(批判を浴びる事も無いですしね)

こう考えるとブログって募金と同じようなものなのかなぁと思ったり。

誰かがこれを見る事で共感したり、ためになったと思ったり、元気付けられたり。

名も知らぬ誰かの小さな小さな糧になっているのかも。


話を戻して、人に認められるという、その人は特定の誰かを指していたりする場合が多くて、ただ実際には不特定の人からは実は認められていたり(その認めている人はこちら側を意識する事は無いかと思いますが)しています。


誰かがあなたの小さな行為で助かっているはずです。

それが見えないことにたまに不満に思ったりもしますけど、自分の行動の何かが誰かの行動の利益へとつながっていることは確かだと思います。

誰にもメリットを与えることなく生きていくことは、恐らくできないでしょうから。


このブログもあなたと言う存在がいるから価値があるわけであって、あなたにとって価値があるかもしれないと思い書いています。

だから、DONTAKT さんの言葉を返すようですが、ここまで読んでくれた以上、少なくとも1人のブロガーに感謝されているよ、と言いたいです。

そして最後に、それに対してありがとうを。