目の前に起こった問題で

一喜一憂しがちな私たち。

 

でも、

昔?なんの教えだったか??(仏法?)

か、

なんか忘れましたが(笑)

 

よく聴く話が、

悩みとか問題は、

実は全部、自分が解決できるものしか

現れないということだと。

 

まぁ、色々紆余曲折あっても、

最後には、

ちゃんと乗り越えられるようになっている。

 

つまり、

人生において実際には

自分が乗り越えられないような問題自体は、

そもそも起きないってこと。

 

なんの教えかは忘れましたが^^;


また他には、

例えば、実体験として、

結構、人生経験豊富な方、

経済的にも、社会的にも成功されてるような

著名人みたいな人も、

よく、そんなことを言ってたりしませんか!?

 

だいたい、

何か問題が起こった時に、

ヤバイヤバイ!!

どーしよ~!と、ある意味パニくったり、

大問題だっ!って、意識を向けすぎることで、

ネガティブになり過ぎ頭を抱えたりしてしまいがちですが、

 

結局、

それを実に大きな問題に

仕立てあげてしまってる一番の張本人は自分だということ。

 

捉え方を変えていったり、

俯瞰してみていくと、

 

その問題は、

今後、自分の成長のために必要なのだとか、

自身の弱さや甘さ、

反省しなければいけないことに気づかせてくれる

大いなる人生の学びとして意味付けしていく。

 

あるいは、

その経験が、今後、もしかしたら

誰かに勇気を与えたり、励ましたりできる

唯一無二の経験になるかもしれない。

 

苦しいことも、
辛いことも、生きていること自体が嫌になることも
本当は、自分が学ぶために経験してみたくて
自分で作った課題であるとか、

 

その経験を持って人々を救うために、

敢て、自分で願って、

そのような境遇に身を置いて体験してるんだみたいな。

(これは仏法の教えだったか?)

 

だから本当は、

自分の器に合った問題、

乗り越えられる問題しか現れない。

 

だから、

ヤバイ問題に直面してしまったとき、

うろたえるのではなく、

 

遂に、こんな問題までもを解決できるぐらいの

人間として成長していたのか。

 

遂に自分は、そこまで来ていたのかと、

そんな気概で、

冷静に問題解決の糸口は必ずあると信じ、

事にあたっていくこと。

 

問題を問題として、

ココロを奪われすぎないこと。

 

自分の力でどうにかなるものは、

その時に最善だと思われる努力はしつつも、

 

やっぱり、自分のコントロールでは

どうにもできないことはあるもんですから。

そんなところに

変に意識向けて力を入れれば入れるほど

苦しくなるに決まっているから。

 

だったら、もう、意識を向けすぎず

気を楽にして、

天とか、神さんとかはわかりませんが、

(どちらかといえば無神論者よりなもんで^^;)

 

ビートルズのLet it beみたいな、

あるがままに・・・

 

というか、

 

天の配剤(?)
もう、天の計らいに任せるしかなんですよね。

 

たとえ、腹立たしいことや、

目の前が真っ暗になるような気持ちになったとて、

いつまでも、それらにココロを奪われすぎないこと。

 

今、大問題だと思い過ぎてるものも、

フト、力を抜いていくと、

きっと、いつのまにか、

自分にとって一番善いところに収まるようになっているって。

 

まぁ、過去にも、

その時は、もう立ち直られないぐらいの

大問題だと感じていたこといっぱいありました。

 

だけど、

その経験からの副産物が手に入っていたことに

後から気付くこともあったもんだから。

 

こういう気持ちになることは、

強いからできるとか、

弱いから無理というようなレベルではなく、

 

そういう仕組みに

人は元々なっているってことを、

知っておくということが大事なのかもしれないね。

 

 

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