自己責任とは、
実は、人生を楽にする
究極の生き方だということに気づいてますか?
ということは、
自己責任の逆は、他人責任なので、
他人責任で生きると、
人生は苦しくなっていくってこと。
コレ、けっこう真理ですよ。
日常で、自分に起きた嫌な事や、
なにかしら腹立たしいことの大半で、
自分以外の何かのせいにしたい時って誰でもあると思います。
その方が一瞬は楽だからです。
だけど、その一瞬は楽っていうのは、
所詮は、かりそめの楽さにすぎない。
なぜなら、
もし、いつも他人責任で考える傾向が強いと、
そこからどんどんネガティブな感情がわいてきたり、
考え方にしても、
だんだんと複雑怪奇なものになってくるから。
そうなると、
もう楽どころか、これって結果的に
負のスパイラルになっていくもの。
ちなみに、
もう、かれこれ5~6年前かなぁ??
私は、脳科学と心理学者の権威の
ある方に
以下のことを教えてもらったのですが、
たとえ相手にどんな嫌なことを言われたり、
されたことにより(外的要因)
その時に自分が、
それでめちゃくちゃ嫌ぁ~な感情になったとします。
しかし、ホントは、
その感情は相手によってさせられたのではなく、
自分自らが、その嫌ぁ~な感情を選んでるのだ。
ということを教えてもらったことがあります。
まぁぶっちゃけ、
その時は、
自分で、その感情を選んでるって???
はぁ(*´Д`;?)
って感じで、
最初は正直意味がわからないままでした^^;
誰かにされたことによって、
自然に、あたりまえに腹立つ気持ちとかが
沸くんじゃないのか??って思ってましたから、
自分で感情を選ぶっていう意味が
当時はわかりませんでした。
だけど、自分の中でわからないままって、
気持ちが悪かったので、
いつも頭の片隅に、
そう教えてもらったことを置いていました。
それで、ある時に気づいたんですが、
たとえ普通は
誰だって嫌な感情になるような出来事だったとしても、
そもそも外的な要因ってのは、
自分でコントロールできるものではないですよね。
例えば、明日天気であってほしいと願っていても、
雨だったり・・・
お天気だけでなく、
自分の力ではどうしようもないことなんていっぱいあるわけ。
そんな外的要因を目の当たりにしたときに、
いちいち、自分の感情が振り回されて一喜一憂してるって、
アホくさいし、
なんかそれって、
自分の感情や、はてまた人生の主導権すらをも、
他人だったり、
そんなコロコロ変わる外的要因に
コントロールされてるってことになる(; ・`д・´)
って・・・もうそれ自体が、おかしなことだってことに、
気付いたわけです。
そうして、
もし、誰かに何かをされたとしても、
そのことで、
例えば「私は〇〇に傷つけられた!」
とか、
「裏切られた」「むっちゃムカつく!」って、
そりゃ、
人間だから一時は、そう思うこともあります。
そこは否定しません。
ただ、間違ってはいけないのが、
その恨み辛みのような
負の感情を継続して持ち続けることがヤバイということです。
なんでかというと、
負の感情、闇の思考にいつしか飲み込まれてしまい、
そのまま負の道、闇の道へいってしまうからです。
(そういうのマンガとかでもよくある話でしょ、苦笑)
だからっ!!
どんな感情でも、
人にさせられたではなく、自分が選んだものであり、
感情は自分で選ぶことができるものであると理解したら、
そこからは、他人責任ではなくなり、
誰かを責めようとはしないわけ。
誰か他人を責めるっていうのは、
実際には不快なもの。
だから、気持ちの悪い不快な感情や考え方ってのは、
そこで終わる。
自分で終わらせないと、
他人にこんな嫌なことをされたと
ふつふつと思い込んでいても、
それを相手が受け取らない限り、
思い込んだ自身を不快な思いが浸食してしまう。
結果、自分にとって全く良い事なんかなにもない。
だから、
しゃーないやん。
仕方がないこと。
と、自分の人生を守るために、
ある意味割り切ること。
自分の人生の為に出来る選択は2つ
①自己責任と割り切ること
②相手を許すこと
このような選択をしない限り、
ずーっと負の感情、闇の思考が残ることになってしまう。
そしたら、
体調は悪くなるだろうし、
メンタルもおかしくなるわ、
連動して、運気も悪い方向にいく(!?)
そういうのが原因で鬱が発祥するとも言われてる。
まさに負のスパイラル@@;
自分の人生で、
そんなの絶対に嫌ですよね。
もちろん人間だから、
最初は、なんやかんやで
感情が大暴れして、
ドツボにはまったりすることもあります。
しがな一日、どよよーん・・・っている時もあるし、
泣きわめくこともあります。
だけどホントは、
自分でそんな負の感情や闇の思考を選んだ。
人に裏切られたのではなく、
裏切られたと思ったのは自分。
人が騙したのではなく、
騙されたと思ったのは自分。
腹を立つことをされたのではなく、
自らが腹立たしいと思うことを選んで、
そう思っただけだということ。
物事の意味は、
全部自分がつけられること。
自分以外の誰かや何かのせいにすればするほど、
ややこしく複雑で、わけわからん状態になってくる。
なんであの人はこうなんだろう・・・
なんであんなことをされるんだろう・・・
こんなことを考え続けても苦しく泥沼になるだけ。
なんであの人が・・・(エンドレス)
違うよ。本当は、全部自分だということ。
自分が誰かのせいにすることで、
ホントは自分を正当化したいだけ。
他人責任で、物事を考えている人生は、
時々誰かに同情されるかもしれない。
「かわいそうそうな自分」って。
しかし、そんな気持ちをずっと続けるとどうなるか・・・
自分の意識が被害者だと向き続けると、
何の成長もなく、いずれ人生は破綻する。
なんで破綻なのかは、
意識が向いてる方向がリアルに表れると、
科学的な観点でも、
量子力学からでも言えることだと、
学んだことがあります。
(マジ怖いですよ^^;)
気晴らしで、ちょっと気分が楽になる程度の目的で、
人に話すことも悪いわけではないけど、
「私ってかわいそうなの」「被害者なの」と
もし言いまくってると、
リアルにかわいそうなことがおこるみたいになる(ヒー!)
ヤバイヤバイ@@;
まぁ、人生100年時代ってことで、
長く生きていたら、
失敗はいっぱいある。
この今の人生って、
誰もが初体験なわけだから。
タンスの角に足の小指をぶつけて
痛がってることを、
ここにタンスがあるのが悪いせいにするか?
自分のせいです(苦笑)
人にどうこうされて、
恨み言を持ち続ける人生というのは、
結果、他人任せの他人依存の、
他人に人生の操縦をされているようなものです。
また、そんな風だと、
物事を、俯瞰してみることができずに、
視野が狭くなって、
色メガネを通して見ることしかできていない状態で、
人生を向上させることができるわけがありません。
明日に快晴の天気を望んでいても、
雨が降ることもある。
天候をコントロールすることはできない。
だけど、外へ出て雨で濡れるかどうかは、
自分で選択することができるでしょ。
とまぁ、エラそうなことを言いましたが・・・
すべては自己責任だと。
自らの責任において選択や判断すること。
そんな気概で生きると
人生はこんなにも楽になるってこと。
それに気づくことができたのは、
実は金樫自身も、
昔は、どこか被害者的で他人責任の考えを
持っていたことで、
妙に生きづらい苦しい経験があったから(苦笑)
なんで、こんな生きずらいのだろう!?って、
色々思考していたら、
あー・・・・自分の人生の責任は自分にあるって、
考えたことなかったわぁって、
もう、10年以上も前に気づいたんですよ。
(これも、とある方からの話から)
人や何かのせいにし続けたところで苦しいだけです。
自己責任という、
ある種の覚悟を持って生きるということは、
結論、実はこれが一番自由だということ。
自分の人生の主導権、
操縦する権利を
自分の手にしているということだから。
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ありがとうございます