INVITATION(5/29)その3 | ボクの奥さん

ボクの奥さん

ボクの奥さんは、半世紀に渡る甲斐よしひろさんファン。このブログは、主に彼女の『甲斐活』について綴っております。

「その後、甲斐バンドが打ち立てて来た数々の金字塔
1981年、大阪花園ラグビー場で、ロックバンドとして初めてライブを開催
およそ2万人を超す観客の熱狂は暴動寸前にまで発展」というナレーションのバックでは
その花園のステージに出て来られた甲斐さんや
松藤さんと「破れたハートを売り物に」を歌っておられる映像が流れ

「1983年には、新宿副都心の高層ビル街で、画期的なイベント『THE BIG GIG』を敢行
およそ3万人の観客が集まり、大きな話題となった」とのナレーションには
オープニング曲の「ブライトン・ロック」の映像が重なり

そして、古舘さんが「僕、色んな節目、甲斐バンドの中であると思うけど
ピックアップさして貰うとね、生意気ですけど
かなり影響受けたアーティスト、甲斐さんは海外にいっぱいいるとして
ジョン・レノンの存在、大きいですよね?やっぱり…」とお訊ねになり
(画面には「ジョン・レノンの影響」の文字)

甲斐さんが「小学校3年くらいの時に、まっ、リバプールサウンドが流行って
まっ、ビートルズ、ストーンズ、キンクス…ナンか、ワーッと…
デイヴ・クラーク・ファイブとか全部…
(『判る?小3ですか?小3の段階でもう聴いてたんですか?』と古舘さん)
えーと、3学期ですね…(『うわっ!覚えてんだ!?ちゃんと!』)

うん、それでもうかなりヤラレちゃうんですよ
『あっ!これはもう俺たちの音楽だ!』みたいな…
でも、世界中がそう思ったと思うけど…」とお答えになると
古舘さんは「ジョン・レノンが、1980年の12月9日に亡くなりましたよね?
ダコタハウスの前で撃たれて…その時、甲斐バンドは日本武道館ですよね?」と振られ
(画面の文字は「ジョン・レノンの死を受けて」に変わり)

「そうです。アンコールなった時に…本編バッと終わって、降りて来て、楽屋に…
まっ、洋服着替えた瞬間に、号外パッと出されたんですよ
だからまあ、ジョンが撃たれて…っていう号外だったんで『うわっ!』と思って
それを…ナンかこう…非常にショックだったんで、バリバリバリって破って
バーン!ってやって、出てったんですよ」と、楽屋でのアノ一幕を説明なさって

「…で、アンコールでアノ歌、歌ってますよね?『翼』…」という古舘さんの言葉に
「『翼あるもの』やると、何か起こるんですよ
花園ラグビー場も結局、暴動起きたのは2曲目の『翼あるもの』の時に客が…
客が、ガーッ!ってなって、数万人がこう…
だんだん、だんだん、前に寄って来て…みたいな…」と返されてましたが

奥さんは「やっと思い出したの?(笑)」とツッコミ(笑)
確かに、これまでずっと花園ライブの暴動に触れられる際には
ラグビー場近隣住民の方々への説明会で「破れたハートを売り物」を流したら
そのリズムが「河内音頭」と一緒だと、一発OKになった(笑)
という話とゴッチャになっていらしたのか?

「1曲目に、リリースしたばかりの『破れたハートを売り物に』をやっちゃったから
客がみんな前に押し寄せて来て、あんなことに…」という風に話されていたし
「行列」などのVTRでも、前へ前へと移動する観客の姿を捉えた映像のBGMは
必ず「破れたハートを売り物に」になっていて

奥さんは、それを見聞きするたびに「だから、それは2曲目なんだって!
アノ手拍子見たら判るでしょ?『翼』のトントン拍子じゃん!」とブツブツ(苦笑)
「あの頃の『翼』の人気は凄まじかったから
いきなりライブ序盤に持って来たのがヤバかったんじゃない?」とのことだけど
あくまでも個人の見解です、あしからず…(笑)
もっとも、この番組の暴動シーンのバックでは「翼あるもの」が流れてましたが…(笑)

ちなみに…「破れたハートを売り物に」は、リリース前から「サンスト」で流されていたため
「えっ!?何?この曲?」と戸惑った訳ではなかったみたいで
ビニールシートは、この1曲目から飛び交い始めていたらしい(苦笑)

ともあれ…古舘さんが「…で、これはもう、日本武道館の…さっき言った熱狂と
まっ、ジョン・レノンが亡くなったって衝撃が入り交じりながら
アノ曲になって行くっていう…これ、エポックではありますよねぇ」と結ばれたトコで
2曲目には、その「翼あるもの」が演奏され
エンディングで、マック清水さんがミスられることもなく(失礼!)再びトークシーンへ…

「まあ『ミュージシャン』『アーティスト』っつっても、色んな幅があるとは思うんですけど
甲斐さんの場合は、結構、自分の世界を確立しながら、色んな人とコラボやりますね」と古舘さん
「コラボすることの意義」というキャプションの下

甲斐さんの「コラボする時って、こう…完全にこう…ある種の核爆発みたいな
ボン!とやって、何が起こるか?みたいな、そういうのの楽しみですね」というお答えを受けられ
「なるほど!それなくして、そのね、自分の世界をグーッと
ヒット曲やり続けるのではないのかも知れない…両方で支え合ってんですかね?」と質問

甲斐さんが「ナンかね…あのね、やっぱり、ずっと同じバンドで
ヒット曲ばっかりやって行くっていうようなことだと、僕はダメになると思うんで…
だから、ちゃんと新たな切り口も作っとかないと…っていう感じでやってたんで…

(『やっぱり、窓を開けて換気しないといけないですね』と古舘さん)
そうそう!そうそう!ホントですよ!みんな…みんな少し…やっぱり理解できてないんですよ
ストーンズが、ナンであんな長く続くか?って言うと
その時代に合わせて、微妙に全部マイナーチェンジしてるんですよ

例えば『サティスファクション』1曲にしても
それだから、ずっとやれるんですよね
だから、リズムを微妙にやっぱ変えてるんですよ、実を言うと…とお答えになると
「ちょっと、諸行無常だ!どんどん移り変わってるから
懐かしくて新しい感じにさせるんだ!?懐かしいだけじゃなくて…」

「そう、だから、ちょっとずつ、ちょっとずつ時代に合わせて
変えて行く奴らだけが生き残るんですよ、表現って…」
…と、収録後のインタビューで、古舘さんが感銘を受けたとおっしゃっていた件が流れ
その「懐かしいのに新しい」とお感じになったという「安奈」へ…

甲斐さんが、ビルボードツアーのMCで…「いきなり間違えた(笑)」ものの
「相変わらず素晴らしい!」とネタバレなさっていたという押尾コータローさんとのコラボ♪
そのビルボードツアーと同じ布陣で、お召し物もビルボード仕様となられた甲斐さんと
ドブロギターを担当される鈴木健太さんとの間に押尾さん
スタジオ奥にキーボードの前野知常さん…って、こちらは「MEETS」ツアー仕様ですね(笑)

カメラが、甲斐さんの右側から捉えた映像には、押尾さんはもちろん
鈴木さんと木村将之さんも、演奏しながら甲斐さんの方をご覧になってるご様子が収められていて
奥さんは「甲斐さん、左のこめかみに穴が空きそうだよね(笑)」とクスクス(笑)

「演奏を終えて」というクレジットが出て、押尾さんへのインタビュー…
「甲斐さんと2人で『KAI MEETS』というので、一緒に(ツアーで)回らして貰った時
ホントに夢のような…えー、時間だったんですけど
今日、ナンと!田中一郎さんと松藤英男さんとですね
甲斐バンドのメンバーと一緒に出来て、ナンかもう至福の時間と言いますか

『あっ!甲斐バンドに入っちゃったみたい!(笑)』みたいな…そんな気持ちで出来たんで…
ナンか、設計としては『KAI MEETS』でやった、その2人バージョンに
いかに、こう…一郎さんが絡んでくれるか?とか、えー、そういった…
松藤さんのギターも絡んだりとか、バックバンドで…
その辺の構図とか考えて挑んでみました」と押尾さん

奥さんが「MEETS」ツアーで、よくお見かけしたという
「いち甲斐バンドファン」のお顔(笑)で話されてましたが
「収録現場レポート」のインタビューでは…
「甲斐さんは昔から僕の憧れの人でした
中学の時は『バス通り』や『裏切りの街角』をフォークギターで弾いて歌ってました

高校生になって、バンドを組んだ時には『氷のくちびる』とか、ロックな曲もコピーしてましたが
その頃の僕には、甲斐さんと一緒に演奏するなんて、想像も出来なかったですね

インディーズで、ソロギタリストとして活動して、34歳でデビュー
翌年から始まった、大阪のMBSラジオで僕がやってる番組に
リスナーの方から『甲斐バンドの安奈をギターで聴きたい』っていうリクエストが来たん

『実は、僕、甲斐バンドの大ファンなのでやりますよ!』って言って
『安奈』をギターインストで弾いたんです
それを聴いた甲斐さんのファンの方が、甲斐さんの番組に録音したテープを送ってくれたみたいで
甲斐さんが、僕のギターアレンジの『安奈』を聴いて下さったり

甲斐さんも、僕が2002年にスイスの『モントルー・ジャズ・フェスティバル』に出演した時の映像が
日本でも放送されたのを偶然チェックしてくれていたり、それからも幾つかの出会いが重なって
イベントライブでの共演という幸運に恵まれました」
…って、これは「MUSIC DAY」のことでしょうね?

井上堯之さんが「面白いギターを弾く若者がいる」とお聞きになり、ライブをご覧になって
押尾さんと共演したいとオファーなさったことで
「中学生の頃の憧れの人だった堯之さんに会えるなら、ギャラなんか安くても関係ない!(笑)」と
甲斐さんが松藤さんとお二人で参加されることになって(笑)
「片想い」同士3組の共演が実現したんだとか…(笑)

ともあれ…「その後もライブのゲストとしての共演や
『甲斐よしひろ × 押尾コータロー』というツアーも実現しました
甲斐さんはすごく優しく接して下さる方なんですけど、もちろん厳しい一面もあって…
でも、その厳しさがメンバーをシュッと引き締めるんですよね
そういう存在がいないと、ミスが起きやすい
甲斐さんは、喝の入れ方がとても上手い。僕も見習わないと…(笑)

これまで何度も甲斐さんと『安奈』をやらせて頂いてますが、今日のは格別でしたね
だって、今日は松藤英男さんと田中一郎さんが入って下さったので
『まさに甲斐バンド!』って思って…(笑)
特に、松藤さんとコーラスが出来たっていうのが嬉しかった
いつか甲斐バンドの皆さんとやりたいと思ってましたから
今日はその夢が叶った『安奈』でした」と話されていて

かつて「大阪城ホールのスタンドから、豆粒みたいな甲斐さん(笑)」をご覧になったり(笑)
「『松藤~!』『大森~!』って叫んで」いらしたという
「押尾少年」の姿が目に浮かんで、微笑ましさ満載でした♪