…と折に触れておっしゃってましたが、リーダーであり、スポークスマンであり
多くの楽曲のソングライターでボーカルであると同時に
ディレクターやプロデューサーも兼任なさっていることを鑑みれば
そう思われる方が大勢おられてもむべなるかなと…?(苦笑)
で、やはりバンドリーダーでボーカルでいらっしゃる後藤正文さんは…
「スタジオで録音した仲間たちの演奏を注意深く聞くと
それぞれのリズムの揺らぎがわかって面白い
管楽器や弦楽器にはリズムとは別に音程の揺らぎもある
ズレやヨレとも呼べるそうしたものが、作品に僕たちならではの印を付け
音楽を人間らしく豊かなものにしていると感じる
演奏に合わせて、自分のギターや歌、ラップを重ね録りしていく
皆の揺らぎと一体化して、大きなうねりの一部になる
そうした感覚を得られた時には、生きていてよかったと思えるほどうれしい
仲間の演奏が気になる時には、演奏フレーズをカットしたり並べ替えたりして
楽曲全体の流れや響きを整え、自分が思う美しさに向けて整えていく
感覚に合わない音を、独裁者のようにバッサリと切り捨てる
楽曲制作のこうした性質を時々恐ろしいと感じる
自分にとって不快なノイズが、誰かにとっては作家人生を捧げるような美しい音だということもある
思いのままにしたいという表現欲求の片隅を
仲間のこだわり(それは尊厳とも呼べる)に触ってしまわないかというためらいがうろうろする
自分の表現において、大切な時間だと思う」…と記されていて
ご自身の理想とされる音と、バンドとしての個性や在り方の狭間で
せめぎ合う感じから逃れられないというのは、どんなバンドも同じでしょうし
だからこそ、メンバーそれぞれの音やアイデアによって
ソロでは生まれなかったであろう、新たな表現が誕生することもあるんじゃないかと…?
甲斐さんが「甲斐バンドには、譜面に載ってない、ちょっとルーズな音があるんだよ」とか
「甲斐バンドは、絶対自信持って言うけど上手くなかった(笑)
だけど、長岡がいる時までは、ちゃんとバンドの『うねり』があった
『揺れ』とか『うねり』がそのバンドのノリな訳で、正確に音を出す必要は全くない
「甲斐バンドは、絶対自信持って言うけど上手くなかった(笑)
だけど、長岡がいる時までは、ちゃんとバンドの『うねり』があった
『揺れ』とか『うねり』がそのバンドのノリな訳で、正確に音を出す必要は全くない
音程は少々はずれるくらいでもいい
正確なことより、心のない音の方がツライから…」と話されていたことと重なりました
その甲斐よしひろさんファンには「桃尻娘」でお馴染み(笑)作家の橋本治さんは…
「ルールになるものが自ずから出てくるものだもん。それを信じてるのが人生なんだもん
原っぱに居合わせた子供たちが、ルールをこしらえて遊び出す
そこへ通りかかった子が、じっと見ているので『入る?』と訊き
でも、適当な役がないので、仕方なくルールを変えて仲間に入れる
で、またみんなで盛り上がる。社会のルールの根本はそこにある」…とおっしゃっていて
バンド内のルールや化学反応というものも、同じように自然発生するのかなあと…?
まあ「ロックをやる」「ロックに生きる」ということ自体
「(悪い意味で)大人になること」を拒むというか
「永遠の不良少年」的な部分を持ち続けることだと思うし
作家のラ・ブリュイエールによれば…「子供たちには過去も未来もない
で、これは我々には殆どないことだが、現在を享楽する」…そうだし(笑)
「今を切り取ること」を生業にするためには、常に「現在を見つめる眼」が必要なのかも?
更に、ラ・ブリュイエールは…「成人は、未来に夢を描き、備えもするが
過去の行為を悔いたり、幸福だった昔を懐かしんだりもする
意識はいつも『まだないもの』『もうないもの』に向かうが
子供は『現在』…つまり今ここに在るものしか眼中にない
とすれば、それがなくなるかも知れないという喪失の不安こそ
子供が子供でなくなる最初の一歩なのか」と続けていて
フランスのラ・ロシュフコー公爵は…「火のような情熱に囚われても
いずれ憑き物が落ちたように色褪せる
我々の情熱がどれだけ長続きするかは
我々の寿命の長さと同じく、自分の力ではどうにもならない」と言っているし
かつて20代の甲斐さんが、結婚願望はおありだったにも関わらず
「結婚して落ち着いちゃったら、曲が書けなくなるんじゃないか?」と不安に思っていらしたり
今のご家庭を持たれてからも「夫とか父親とかいう前にミュージシャンだから」とか
「スタジオで作業したあと、真っ直ぐ家に帰るのは難しい」と話されたり
「大人」になりたくない…イヤ、なっちゃいけないという部分を守っておられるような気が…?
甲斐さんのお好きな詩人・金子光晴さんも…
戦時中ひそかに書きためていらした詩編が、戦後次々と日の目を見た時に
「僕は、僕を甘やかすものの中に敵を見ない訳にはゆかなかった」…と記されていて
「安定」することへの抵抗感が窺えます
ただ、かのトゥルゲーネフが「初恋」の中で…
「青春の特権は『何でも出来る』ではなく『何でも出来ると思える』ところにある
持てる力を、他に使いようがないまま無駄遣いしてしまう
そこにこそ青春の魅力が潜んでいるのかも知れません」…と綴っていることに対し
鷲田清一さんは…「何をしたって同じと感じる現代の若者には、やや酷かも?
一方、すぐにこの世から失せる身、出来ないことは何もないと
怖じ気なく思えるのが老いだとすれば、それも捨てたものでない」…とおっしゃっていて
まだその境地に達していないボクにも希望の光が…(笑)
でも、やはり萩原健一さんの言葉…
「俳優の仕事は、撮影が終わるごとにリストラ、職探しの連続だが
世間から忘れられてもいい。そうすれば一から蘇生できるんだから」…はカッコいい♪
鷲田さんも…「役を得るために媚びを売ることは意地でもしなかったショーケン
性懲りもなくあえて火傷しそうな場所へと自身を追い込んだのも
何事も『ほどほどに』という小賢しさに染まりたくなかったからか
自分をいつも自由のゼロ地点に置いておきたかったからか」…と記されていて
年齢を重ねても自由に「何でも出来る」ようスタンスを崩さなかったショーケンへの驚嘆と羨望が
思わず滲み出てしまわれれたんじゃないかと…?
もっとも鷲田さんは、中国哲学研究者の中島隆博さんが小学生の頃に
先生から「どの季節が好きか?」と訊かれて「秋が好きです」とお答えになった時
「斜に構えることを覚え始めた少年の心を見抜いたのか
『夏が好きだと言いなさい』と諌められた」ことを取り上げられ
「その言葉はまぎれもなく、世の様々な習いに触れる直前の『魂への配慮』」とおっしゃっていて
大人に近づく過程において、その年齢にそぐわぬ
無理な背伸びやポーズは不要と思っておられるみたいですが…?
甲斐さんが「ロックミュージシャンは、春とか秋とか
そんな過ごしやすい季節を好きだなんて言っちゃいけないから
好きな季節を訊かれたら『そりゃ夏ですよ』とか
『冬が好きですね』って答えるようにしてる」と話されていたのを思い出しました(笑)