安倍元首相暗殺に思う、ひとを悼むということ、ひとを批判し続けるということ | 地方都市は死なず! 滝沢いっせい ブログ爽創通信  *09016693890*kpissey@rf6.so-net.ne.jp*

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上越市議会議員滝沢一成のブログです! 日々感じたこと、考えたことを、できるだけ素直に書いてゆきます。
滝沢一成のテーマは「雪」「老い」「貧困」、これらを追及します。

「安倍氏暗殺のSNSでの私の反応について」
一つ申し上げておこうと思います。

安倍晋三元首相暗殺の直後、安倍氏を貶す投稿がFBにあり、私としては「かなり口汚く」感じたので、そういう事は言うべきではないとコメント欄に書き込みました。

私の精神の根幹に、死者は誰であろうとまずは悼むものであるという思いがあります。それをもとに書いたのですが、知己の青年から思わぬ反論を受けました。

どういう言葉であったか正確には覚えていませんが、「酷い死に方をしたにしても、それを以てその人物を非難することを慎むべきだというのは、自由な言論を封殺するものだ」という主旨であったかと思います。

反論を受けたその刹那は「大人げない、まず悼むということを知らないのか」と感じましたが、それ以来私のこころの中に、行きつ戻りつする問いかけが生まれました。
私は何かに囚われているのではないか、という問いかけです。

ひとは皆自分は偏見に囚われていると思ってはいないのでしょう。自分は真っ当な人間で、ものごとを公平に見ることができると信じていると思うのです。

ただそれは自分で思っているだけで、他人からみれば、なんて歪んでいるひとなんだろうと思われていることも往々にしてあるものです。(その「他人」もまた歪んでいるのかもしれませんが)

端緒から3週間経ちました。
結論をいえば、私のコメントは書くべきではなかったです。

死者は誰であろうと悼むものという感覚は、私の精神の根幹にあるものですから変えることはできない。ただ他者にまでそれを求めるのは間違っていましたね。

安倍元首相はこの15年政治の世界において大きな存在でした。確かな功績もあった。安倍さんでなければもっと日本の凋落は早かったでしょう。そこは否めるものではないと私は思います。
これからも安倍元首相を尊敬し、肯定し続ける人たちは多いでしょう。私もその中に入るかもしれない。

しかし安倍元首相には毀誉褒貶も多くあった。一つひとつあげる気はありませんが、ご自身がこれから先真実を語るべきことを残して逝かれてしまったのは事実です。
これらを批判し、安倍晋三という政治家を否定し続ける人たちも一定数い続けるでしょう。

それでいいのではないでしょうか。

安倍さんには、国を護るという強い信念があった、ただ彼にとって護るべきと考えたことと、一定数の国民の考えた護るべきことが必ずしも一致しなかったのだと思います。

彼が負の遺産を残したとしたら、それは我々が背負う負債です。我々が解決しなくてはならない、この時代を共に歩んだ生者として。
安倍晋三とは何者であったか、ひとではなく、歴史が裁くでしょう。歴史がこれからも続くのであれば、ですが。

自分自身に戻して、この文を終わろうと思います。

思想の自由のもと、
互いを尊重しあい、
自分の意にそぐわない弁であっても、
封殺することなく、
耳を傾け、
もちろんヘイトは許すことではないが、
闊達に議論を交わし、
幾分かの満足と押し殺せる不満を抱えながら、
落としどころを探し、
ともにこの社会をつくっていく

…そうありたいと私は考えています。