感謝と本音は別です!
先日のご相談で感じたことなのですが、『感謝している』と『傷ついた気持ち』これは全く別の話です。例えば、親やパートナーとの関係で苦しさを感じていても、ここまで育ててもらった産んでもらった何不自由なかった親だって人間で完璧じゃない家庭のために働いてくれているこういう言葉が次々出てくる方が実に多いもちろん感謝したらいいと思います。だけど、その感謝は本当に心から気持ち良くできる感謝でしょうか?甚だ疑問ですこんなこと偉そうに書いている私自身も昔は感謝で蓋していたんですよ私の親は俗に言う毒親なのですが、毒親って世間体はいいので周囲から理解されなくて辛かった・・学生時代、親について友人に不満を漏らすと必ずと言っていいほど『いいご両親じゃん!うちの親なんてもっと酷いよー』『そんなこと言っちゃダメ』『親には感謝しないとダメだよ』こんな感じで友人からたしなめられました。とっても悲しかった。苦しかった。吐き出せない苦しさ、私の感じている感覚を全否定される悲しさわかってくれる人が誰もいない孤独を味わいました。私が悪い人間になったような気持ちだったから、恥ずかしかったし、孤独感で感覚が麻痺しそうで。いっぱいいっぱいでした。だから、親の悪口は言わないのは正解なんだと思い込んだんですよねだけど思春期だし、「親の悪口を言うな!」と言ってる本人も時には出ちゃうもので、そんな時、私は友人の親の悪口は否定せずに聞いたように思う。なぜなら、気持ちを否定される辛さがわかるから。だから!私は大人になってからその違和感を学び直した!カウンセラーと二人三脚で何年もかけて学んできました。当初、カウンセラーにつらつらと自分の気持ちを話した後はなぜかポツリと『感謝しなきゃですよね〜』と言っていたと思う。そこでカウンセラーが言ってくれた言葉が『感謝しなくてもいいんじゃない?だって辛かったんでしょ?苦しかったんでしょ?』『感謝はできるにこしたことはないけど、その前に自分を見てあげようよ』涙があふれたなーそうだよ何年我慢してきて何年いい人ぶって何年本音を隠して生きてきたんだろうか。。。私が本音を隠すから周りをイライラさせる大丈夫と笑うけど、実際は悲しい、怒っている、だから理不尽な目に合う。(という構造もわかってきました。)この記事で一番伝えたいことは、感謝と感情は別のベクトル、別の座標に存在しているようなものでどちらかを選ぶものではないということですどちらも選んでいいんです感謝しなきゃ!と会話を終わらせる人はネガティブな話題をあまり口に出してこれなかった方かもしれません。いつも周りに気をつかい、いつも自分を後回しにし、残り物でいいよ〜と笑顔で場を和ませてきたいい人でしょう。その優しさを今度は自分自身にも向けてみませんか?感謝をしようとする気持ちは大事です。でも感謝の裏にある感情はどこにいきましたか?感情は空気のようにどこかにいったりしません。目には見えなくても、体の周りにくっついているそうです。だから、その感情と繋がる出来事に反応して同じ感情を何度も味わうんです。感謝をしようとした時、もどかしさや反発する気持ちがあったり、違和感だったり、心が重くなるようなら感謝は後で、まずは感情をみて本音を知ってあげることが先決ですよ自分に優しくどうしたの?何があったの?と聞いてあげましょう私もそうだったからわかりますが、感謝は使い方を間違えると自分を締め付けたり、本音を見ないための都合のいい蓋にもなります。そして感謝と本音両方に目を向けると自分の軸も太くなりますよ〜感謝と感情 両方ともあなたの本音だから 大事にしていきましょうね今日も読んでくれてありがとう