10日ほど前に六本木のクリニックを受診して、ADHDの診断結果が出ました。

自分が感じていたように多動性と注意欠陥があるとの診断でした。

そして、薬を処方されストラテラのジェネリックでアトモキセチンという薬を処方されました。

昨日、2度目の受診。

薬の効果を医師に聞かれたので、あまり効果は感じないと返答しました。

実際、子供の頃から多動や注意欠陥で生活してきましたから、自分の中ではそれが普通で自分では気づきにくいところもあります。

効果を感じないことを伝えると薬を増量することになりました。

処方箋が出されて会計を済ませて、クリニックの同じフロアの薬局へ。

前回はその薬の在庫がなく、薬剤師がちかくの薬局へ取りに行きました。

今回は前回のジェネリックはないが先発のストラテラはあるそうで、そちらを用意してくれましたが会計をすると薬の料金が全然違う。

ジェネリックのアトモキセチンに比べストラテラはすごく高いのです。

ADHDを扱うクリニックの横の薬局で、しかもそのフロアにはクリニックと薬局しか入っていません。

その薬局は前回は在庫がなく、今回はジェネリックのアトモキセチンの在庫がない。

それもどうかと思うが、先発薬のストラテラになる時に薬価が高くなることは患者に伝えるべきだと思う。

支払いの段階で料金がかなり高くても、こちらも言いづらいし、しかも薬価は先発薬とジェネリックはかなり違う。

ADHDの薬だし、多分取り扱っている薬局も少ないだろうし、しょうがなく支払いを済ませて薬をもらってきたけど、この日は診察と薬で1万円弱。

せっかく予約して言ったのに、先生も前回と違う先生でした。

だから、電子カルテに残ってるのに、初めて受診して言ったことをもう一度聞かれて同じことを伝える感じ。

できれば経過観察が分かるように同じ医師に診てもらいたい。

そして、いま別に飲んでいる薬を聞かれたので、たまに眠剤を飲んでいることを伝えると眠剤の薬を出そうかと勧めるし、何故寝れないのか、どういう症状なのかも聞かず「そちらの薬も出しましょ〜か」みたいな軽い感じ。

眠剤も含めた依存性のある精神的な薬を簡単に出す医師は、基本的に信用できなくて。

ホームページでは、診察料も847円〜みたいに安く受診できるようなことを書いているけど、やたら知能検査やこちらが希望してないのにカウンセリングをすすめてくるし、別の病院に変えてみることも良いのかなと思ってます。

どなたか大人のADHDを診れる都内のおすすめの病院があれば、教えて下さい。

5月に大きな事故をしました。

携帯の着信音に気を取られて、少し目線を下げたことが原因で赤信号を見落として、そのまま交差点内に侵入して右折する対向車と衝突。

もちろん、普段から運転中は携帯で電話しての運転などはしません。

怖い話ですが、赤信号の見落としは今回が初めてではなく、何度か見落したことがあります。

運転に集中しないとと思うのですが、またすぐに運転中に他のことに意識が気を取られたりする自覚はありました。

そういうことで同乗者から指摘を受けることもあります。

今回、大きな事故を起こしてしまい、暫くというか極力運転はしないと決めました。

運転中に頭の中で複数のことをを考えたりします。

それも、運転中に考えないでいいことを考えたり、思ったり。

自覚しているので、運転に集中しようと思うのですが、また意識がすぐにや運転以外へいったりします。

そして、明日病院にADHDの診断のため受診しに行きます。

ADHDについては前から気になっていました。

僕が子供の頃、まだADHDという概念はありませんでした。

小学校の時には、授業が座って受けられずに教室の外へ遊びに行ったりして、4年生の時には問題児として扱われて他の2人の子と特別班にされ、教卓の横に机を並べてました。

今でも忘れないぐらい傷ついていますが、給食を取りにいくのも最後、片付けるのも最後。そして、クラス会などでも発言権はなしでした。

他の班の子供達は班でまとめた意見を言うのですが、僕達3人の班は意見すら言えませんでした。

本当に差別に近い扱いでした。

(今の時代でしたら大変な問題になりますが、昔は平気でそういうことがありました。)

人とのコミュニケーションは、子供の頃から取りづらかったです。

小学生の頃からサッカーをやっていましたが、今思えばチームの仲間とコミュニケーションを取らずオンリーワンのプレーばかりでした。

ただ、本当に悩み出したのは思春期の頃。

人とのコミュニケーションが取れず、友達もできづらく、というかもうその頃には友達を作ろうなどと言う意識もありませんでした。

気に入らないことがあるとすぐにケンカ。

だから、もう10歳くらいからは周りの子が僕と距離を取るようになっていました。

そして、本当に悩み出したのは思春期くらいから。

自分が徐々にひとりでいることを選び、あえて人と付き合う、友達を作ることなどしませんでした。

でも、心の中はいつも孤独でした。

そして、社会人になってからはもっと大変でした。

仕事をする上でコミュニケーションが取れないのは致命的です。

まだ、ADHDと診断された訳ではないので、勝手に判断したら良くないと思いますが、僕がADHDの症状として当てはまるのは、コミュニケーションが取りづらいこと、落ち着きがない、物をなくすなど。

コミュニケーションが取れないのは、人との会話中に頭の中で色々なことを考えてしまう。

人の話を聞いていない訳ではないのですが、色々なことで頭が一杯になる。

あとはボーっとしてしまったり。

しゃべりだしたら、とまらないところもあります。

落ち着きがないのは、買い物などに行ったらよく感じます。嫁との買い物に付き合ってても、落ち着いて買い物ができないことや行列に並ぶことも苦手。

だから、ライブなどで並ぶのも苦手だけど、最近はスマホがあるので、まだマシですが、、、。

物を無くすのはしっちゅうです。財布やアクセサリー、イヤホンなどはもう何個なくしたかわかりません。

5月に大きな事故の詳細はこんなことでした。

携帯の着信音に気を取られて、少し目線を下げたことが原因で赤信号を見落として、そのまま交差点内に侵入して前方からきた右折する対向車と衝突。

一方的に僕に過失のある事故でした。

もちろん、普段から運転しながら電話することはありません。

怖い話ですが、赤信号の見落としは今回が初めてではなく、時々見落とすことがあります。

運転に集中しないとと思うのですが、運転中に他のことに意識が気を取られたりする自覚はありました。

そういうことで同乗者から指摘を受けることもあります。

今回、大きな事故を起こしてしまい、暫くというか極力運転はしないと決めました。

運転中に頭の中で複数のことをを考えたりします。

それも、運転中に考えないでいいことを考えたり、思ったり。

自覚しているので、運転に集中しようと思うのですが、また意識が運転以外へいったりします。

そして、明日病院にADHDの診断のため受診しに行きます。

ADHDについては前から気になっていました。

僕が子供の頃、まだADHDという概念はありませんでした。

小学校の時には、授業が座って受けられずに教室の外へ遊びに行ったりして、問題児扱いされて4年生の時には他の2人の子と特別班にされ、教卓の横に机を並べてました。

今でも忘れないぐらい傷ついていますが、給食を取りにいくのも最後、片付けるのも最後。そして、クラス会などでも発言権はなしでした。

他の班の子供達は班でまとめた意見を言うのですが、僕達3人の班は意見すら言えませんでした。

本当に差別に近い扱いでした。

(今の時代でしたら大変な問題になりますが、昔は平気でそういうことがありました。)

人とのコミュニケーションは、子供の頃から取りづらかったです。

小学生の頃からサッカーをやっていましたが、今思えば仲間とコミュニケーションを取らずオンリーワンのプレーでした。

ただ、本当に悩み出したのは思春期の頃。

人とのコミュニケーションが取れず、友達もできづらく、というかもうその頃には友達を作ろうなどと言う意識もありませんでした。

気に入らないことがあると子供の頃からすぐにケンカ。

だから、もう10歳くらいからは周りの子が僕と距離を取るようになっていました。

そして、本当に悩み出したのは思春期くらいから。

自分が徐々にひとりでいることを選び、あえて人と付き合う、友達を作ることなどしませんでした。

でも、心の中はいつも孤独でした。

そして、社会人になってからはもっと大変でした。

仕事をする上でコミュニケーションが取れないのは致命的です。

まだ、ADHDと診断された訳ではないので、勝手に判断したら良くないと思いますが、僕がADHDの症状として当てはまるのは、コミュニケーションが取れないこと、落ち着きがない、物をなくすなど。

コミュニケーションが取れないのは、人との会話中に頭の中で色々なことを考えてしまう。

人の話を聞いていない訳ではないのですが、色々なことで頭が一杯になる。

そして、肝心なことを聞き逃したり、相手のしゃべっている意図がわからなくなってしまったり。

とにかく、会話中に僕の頭の中は色々なことで忙しい状態になってしまいます。

あとはボーっとしてしまったり。

落ち着きがないのは、買い物などに行ったらよく感じます。嫁との買い物に付き合ってても、落ち着いて買い物ができないことや行列に並ぶことも苦手。

だから、ライブなどで並ぶのも苦痛だけど、最近はスマホがあるので、まだマシですが。

物を無くすのはしっちゅうです。財布、アクセサリー、イヤホンなどはもう何個なくしたかわかりません。

特に去年から個人事業主として会社を作り、仕事を始めましたが、約束2年間を振り返ってみれば、やはりコミュニケーションが出来てないという反省点。発注元、外注業者ともうまくコミュニケーションが取れてなく、相手先に御迷惑掛かっていたのではないかと思います。

とにかく、注意欠陥、多動性、それにASDの症状が少し重なってるのかなと思います。

もう、50歳ですが、今回の事故を契機にしっかりと病院での受診を決めました。

どういう診断かは分かりませんが、とにかく今まで

生きづらさがあったのは事実です。

今日は体も気持ちもダルくて、仕事を休んだ。

ここ1週間くらい、精神的にダウンで休みの日は寝てることが多い。

寝ててもあまり変わらないけど、何か自分の中の開けてはいけない扉を無意識に開けた感じ。

今日も朝から1度起きてから、水分を取って寝てました。

するとお昼から、マンションの真下である区議選候補者の街宣カーでの遊説が始まりました。

しかも、同じ苗字で名前の連呼がダウンしている精神がどんどん落ちていく。

音って、1度気になると駄目ですよね。

候補者にはわるいけど、もう、騒音でしかない。

公職選挙法で決められているのは、朝8時〜夜8時と時間だけで、病院や学校などの周りは音量を落とすなど候補者、事務所側の配慮を求めているだけです。

これは候補者、事務所側と言うより、ルール作りが出来ていない。

今日はさすがにキツくなってきて、直接音量を下げてもらえないかとお願いしました。

話を聞くと夕方5時までの予定。

候補者本人が理解を示してくれて、お願いに言った4時にマイクの音量を切ってくれました。

候補者本人には申し訳ないけど、同じ場所で80〜90デジヘルは救急車のサイレンやパチンコ店内に相当します。

これを昼から4時間、5時間行われたら、健康な人でもキツイと思う。

確かにうちのマンションの下は遊説には良い場所だと思います。

ですが、いまのコロナ禍で在宅ワークなども増えています。

僕のように病気で寝ている人もいるでしょう。

候補者、事務所側に配慮を求めても、みな選挙に勝つことに必死で配慮などできないはずです。

時代もSNSなどインターネット時代。

政策をアピールする方法、選挙戦のやり方も変化して良いと思います。

人の為になる政治、人に優しい政治なら、もうそれは選挙戦も同じです。

選挙管理委員会でも、例えば拡声器の音量の規制や同じ場所での遊説時間を何時間までと決めるとか、もっと細かなルールを決めないと言い方が悪いですが、候補者のやりたい放題、やったもの勝ちみたいになってしまいます。

確かに拡声器での、名前の連呼は投票に効果があるという結果も出ていて効果的な手法ですが、遊説の拡声器の音量はかなりの人から苦情が出ているのも事実。けど、法律的な規制がありません。時代、社会情勢、色々と加味して選挙戦も変わって欲しいです。

だって、このやり方を永遠と続けてきてこの投票率ですから、皆が投票に行くような政治、選挙戦をもっと考えて欲しい。

まあ、言うは易し行うは難しですが。

ブログで書いても、何も変わらないですけど。

先日行ったディズニーシーで娘達のお土産で、ミッキーのベイクドチョコレートを買いました。
定番のクランキーチョコは、食べた後の缶は何かに使えそうで使えなくて、結局捨ててしまいます。
このベイクドチョコレートは蓋にミッキーの耳のデザイン。蓋もキチンと閉まるので、これをお土産に買って行きました。
下の娘が絶賛。焼きチョコレートみたいに口に入れた際に香ばしい感じ。
僕もひとつ食べたけど、確かにいつものクランキーより美味しい。
絶賛した下の娘は、お姉ちゃんの分も残さずキレイに食べました笑


下の娘から、時々相談を受ける。

いま、悩んでいる事は中学から付き合っている友達関係。

この友達関係の悩みは定期的に起こるし、その都度相談を受けることもある。

その友達関係は、うちの娘も合わせて3人グループ。友達2人は中学校のあった区内で生活している。

うちの娘は僕が嫁と入籍する時に引き取り、隣の区に引っ越した。

娘はいま、二十歳。

中学から高校、専門・就職とそれぞれがそれぞれの道に進んでいる。

引越したこともあって、必然的に2対1の構図が出来上がっている。

だから、中学生の時の関係から少しずつ関係性が変わってきているらしい。

それは当たり前だと思う。

皆が二十歳になり、大人のスタートラインに立った。

中学生の子供の時とは違い、考え方も感性もすべてが良い意味でも悪い意味でも変化しているだろう。

うちの娘は普段の連絡に文章でのやり取りも嫌いらしい。だから、こまめにLINEでやり取りもしないらしい。

友達2人は同じ区内なので、頻繁に2人で遊んでいるらしい。

それは微妙な距離間が出来るだろうし、女の子同士の女の子特有の問題も出てくると思う。

男の自分には、なかなか女の子、女性特有の感覚は頭で理解できても実感としてはわからない。

その友達関係で娘はストレスを感じて、時々気分が落ちる。それは定期的にそういう状態になる。

そして、こちらから見ていつもより不機嫌になっていると感じる。

以前、カウンセラーをやっていた経験から言えば、ストレスとは生活の中で絶えずおこってくることで、要はそのストレスの掛かる物事に自分がどう感じるかどう処理するかで、ストレスの度合いは変わってくる。

親子関係、学校、職場、人間関係など、ストレスはあらゆる場面でおこるもの。

同じ場面に遭遇しても、それをストレスと感じる人もいれば、ストレスを感じない人もいる。

では、それは何の違いか。

簡単に言えば、それをどう自分で感じるかの違いである。

例えば戦争や大きな震災。これは誰しもがストレスを感じるのは当然である。

しかし、日常の生活の中では物事に対しての捉え方でストレスの感じ方は変わってくる。

では、どう捉えていけば変わってくるのだろう。

まず、考え方や自分の感性に目を向けても難しい。

大半の人がそこに執着して、色々と考えると思うけど、これではストレスの感じ方、ストレス度は変わらない。

嫌な事を嫌と感じるのは、人として当然だから。

では、なぜそう感じるのか。

脳の働きを見れば、人間は物事に対してまずは快と不快に振り分けている。

人間と言えども、単なる動物。

脳の増大、巨大化によって、進化して、他の動物にはできない事ができるようになった。

しかし、脳が進化してもやはり動物であることには変わらない。

進化の過程でサルからヒトへと変わってきたが、人の脳は生物が地球上に誕生してから、進化の過程を辿っている。

脳が判断することは、まずは生命保持が基本。

目の前に何かが現れた時に、それが自分に対して危険がそうではないか。

これが脳が快か不快に振り分けている理由ではないかと個人的に思っている。

では、その振り分けの基準は何をべースとしているか。

生まれた時からの経験である。

1日の経験した事は寝ている時に処理していると言う。

必要な記憶としての経験か、それほど重要なものではないか。

重要な経験はよく使う記憶の場所へ、重要なものでなくても、その経験は情報として必ず記憶される。

例をあげると刃物で指を切る経験をする。

これは危険なものとして重要な記憶となる。

そして、次に刃物を使う時にこの記憶の情報を元に刃物の使い方を気をつけるようになる。

何故、この例を挙げたのかと言うと実は僕は無痛症の所がある。

体の内部の痛み、お腹が痛いとか頭が痛いとか普通に感じるけど、皮膚に関しては痛みを感じにくい。

仕事などでカッターや工具を使うことが多い。

意識の中では、扱い方を気をつける意識は持っている。

しかし、痛みとしての経験の記憶がないので、危険な物として頭で意識することしかできない。

他のことに気を取られるとついついカッターなどの扱い方が雑になる。

よく、腕や指を切るがいつも自分では気づかない。

周りの人に血が出てることを言われて、初めて自分で気づいたりする。

その度に気をつけなければと意識をするが、また同じことをする。

話はそれたけど、これを人間関係に置き換えると自分が心地良い人、悪い人がいる。

この人といると安心するし楽しい、でもこの人は逆で苦手。

初めて出会った人でも、第一印象でなんか苦手な感じを持ってしまう。

これは今までの経験の中で同じような人に不快を感じた記憶があり、無意識に脳の情報から引き出されている。

父親から虐待の経験などがあると、年上の男性や会社の上司などの権力のある人に何故か萎縮してしまう。

自分が特に何をしてなくても、相手から何かされてなくても、どこか相手を目の前にした時に萎縮してしまう。

これは無意識の中で起こることが多く、こういうことが自然にストレスになってくる。

この場面でのストレスに対しての耐性ができていない。

特に子供の頃の経験は、本人に問題を好転させる能力がないので、きちんとした情報としてではなく、単純な判断の間違った情報として脳に刷り込まれていることがある。

娘を見ているとどういう子と友達として付き合うかと言うより、友達=仲良くという概念が刷り込まれているように感じる。

お互いがプラスになるような関係性と言うより、友達だから仲良くしないといけない、その輪からはみ出してはいけないというような固定概念があるように感じる。

定期的に同じことで悩み、ストレスになっているのだから、少し距離を取れば違うものも見えてくると思うのだが、ストレスを感じながら関係性を保とうと無理している。

自分も歳を取って初めて人との付き合い方をやっとわかってきた。

人間関係は色々な経験をしないと養われない所もあるので、娘も色々な人と出会い、そこで色々と良い経験、悪い経験を繰り返して自分の形みたいなものが出来てくるのだと思う。

だから、一概にこうしろああしろとは言えない。

沢山の人間関係の中で経験して、人として成長していくしかないと思う。