下の娘から、時々相談を受ける。

いま、悩んでいる事は中学から付き合っている友達関係。

この友達関係の悩みは定期的に起こるし、その都度相談を受けることもある。

その友達関係は、うちの娘も合わせて3人グループ。友達2人は中学校のあった区内で生活している。

うちの娘は僕が嫁と入籍する時に引き取り、隣の区に引っ越した。

娘はいま、二十歳。

中学から高校、専門・就職とそれぞれがそれぞれの道に進んでいる。

引越したこともあって、必然的に2対1の構図が出来上がっている。

だから、中学生の時の関係から少しずつ関係性が変わってきているらしい。

それは当たり前だと思う。

皆が二十歳になり、大人のスタートラインに立った。

中学生の子供の時とは違い、考え方も感性もすべてが良い意味でも悪い意味でも変化しているだろう。

うちの娘は普段の連絡に文章でのやり取りも嫌いらしい。だから、こまめにLINEでやり取りもしないらしい。

友達2人は同じ区内なので、頻繁に2人で遊んでいるらしい。

それは微妙な距離間が出来るだろうし、女の子同士の女の子特有の問題も出てくると思う。

男の自分には、なかなか女の子、女性特有の感覚は頭で理解できても実感としてはわからない。

その友達関係で娘はストレスを感じて、時々気分が落ちる。それは定期的にそういう状態になる。

そして、こちらから見ていつもより不機嫌になっていると感じる。

以前、カウンセラーをやっていた経験から言えば、ストレスとは生活の中で絶えずおこってくることで、要はそのストレスの掛かる物事に自分がどう感じるかどう処理するかで、ストレスの度合いは変わってくる。

親子関係、学校、職場、人間関係など、ストレスはあらゆる場面でおこるもの。

同じ場面に遭遇しても、それをストレスと感じる人もいれば、ストレスを感じない人もいる。

では、それは何の違いか。

簡単に言えば、それをどう自分で感じるかの違いである。

例えば戦争や大きな震災。これは誰しもがストレスを感じるのは当然である。

しかし、日常の生活の中では物事に対しての捉え方でストレスの感じ方は変わってくる。

では、どう捉えていけば変わってくるのだろう。

まず、考え方や自分の感性に目を向けても難しい。

大半の人がそこに執着して、色々と考えると思うけど、これではストレスの感じ方、ストレス度は変わらない。

嫌な事を嫌と感じるのは、人として当然だから。

では、なぜそう感じるのか。

脳の働きを見れば、人間は物事に対してまずは快と不快に振り分けている。

人間と言えども、単なる動物。

脳の増大、巨大化によって、進化して、他の動物にはできない事ができるようになった。

しかし、脳が進化してもやはり動物であることには変わらない。

進化の過程でサルからヒトへと変わってきたが、人の脳は生物が地球上に誕生してから、進化の過程を辿っている。

脳が判断することは、まずは生命保持が基本。

目の前に何かが現れた時に、それが自分に対して危険がそうではないか。

これが脳が快か不快に振り分けている理由ではないかと個人的に思っている。

では、その振り分けの基準は何をべースとしているか。

生まれた時からの経験である。

1日の経験した事は寝ている時に処理していると言う。

必要な記憶としての経験か、それほど重要なものではないか。

重要な経験はよく使う記憶の場所へ、重要なものでなくても、その経験は情報として必ず記憶される。

例をあげると刃物で指を切る経験をする。

これは危険なものとして重要な記憶となる。

そして、次に刃物を使う時にこの記憶の情報を元に刃物の使い方を気をつけるようになる。

何故、この例を挙げたのかと言うと実は僕は無痛症の所がある。

体の内部の痛み、お腹が痛いとか頭が痛いとか普通に感じるけど、皮膚に関しては痛みを感じにくい。

仕事などでカッターや工具を使うことが多い。

意識の中では、扱い方を気をつける意識は持っている。

しかし、痛みとしての経験の記憶がないので、危険な物として頭で意識することしかできない。

他のことに気を取られるとついついカッターなどの扱い方が雑になる。

よく、腕や指を切るがいつも自分では気づかない。

周りの人に血が出てることを言われて、初めて自分で気づいたりする。

その度に気をつけなければと意識をするが、また同じことをする。

話はそれたけど、これを人間関係に置き換えると自分が心地良い人、悪い人がいる。

この人といると安心するし楽しい、でもこの人は逆で苦手。

初めて出会った人でも、第一印象でなんか苦手な感じを持ってしまう。

これは今までの経験の中で同じような人に不快を感じた記憶があり、無意識に脳の情報から引き出されている。

父親から虐待の経験などがあると、年上の男性や会社の上司などの権力のある人に何故か萎縮してしまう。

自分が特に何をしてなくても、相手から何かされてなくても、どこか相手を目の前にした時に萎縮してしまう。

これは無意識の中で起こることが多く、こういうことが自然にストレスになってくる。

この場面でのストレスに対しての耐性ができていない。

特に子供の頃の経験は、本人に問題を好転させる能力がないので、きちんとした情報としてではなく、単純な判断の間違った情報として脳に刷り込まれていることがある。

娘を見ているとどういう子と友達として付き合うかと言うより、友達=仲良くという概念が刷り込まれているように感じる。

お互いがプラスになるような関係性と言うより、友達だから仲良くしないといけない、その輪からはみ出してはいけないというような固定概念があるように感じる。

定期的に同じことで悩み、ストレスになっているのだから、少し距離を取れば違うものも見えてくると思うのだが、ストレスを感じながら関係性を保とうと無理している。

自分も歳を取って初めて人との付き合い方をやっとわかってきた。

人間関係は色々な経験をしないと養われない所もあるので、娘も色々な人と出会い、そこで色々と良い経験、悪い経験を繰り返して自分の形みたいなものが出来てくるのだと思う。

だから、一概にこうしろああしろとは言えない。

沢山の人間関係の中で経験して、人として成長していくしかないと思う。