ここでは、英検にこだわらず「ためになる英語」学習について手に入りやすい本の案内として説明をしていきます。
「アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界」(中公新書)で、著者は会田雄次(1916‐1997)をあえてご紹介したいと思います。
あえて、と申し上げるのは、この本には、どこにも英語学習法に関する助言も示唆が一言もないからです。
にもかかわらず、読み解くべきと申し上げるのにはわけがあります。
本著者会田雄次は、京大を出で大学の教員となったにもかかわらず、先の大戦で従軍を余儀なくされ、結局ビルマで捕虜となり、数年間、収容所生活を送ることとなります。
そのときに実体験した、英国軍人から受けた屈辱的な場面が、これでもかというほど、読者の前に開陳されます。
それは、いかに敗戦国の元軍人と言う立場とはいえ、ここまでの扱いをうけるだろうか、と「うならされる」ほどのものです。
肉体的虐待は殆どありません。
少し引用してみましょう。場面は、イギリス軍女兵士の居室を捕虜である会田雄次が掃除をするところです。
ドアをあけ、ていねいに一礼し、掃き、腹ばいになって床をふく。こういうとき、男であろうと女であろうと絶対にイギリス兵を注視してはいけない。とくに目をあわせるといけない。大層な剣幕でどなられる。
いかがでしょうか。
このあと、以下に使役とはいえ、英国人兵士はサンクスの一言もいわないこと、タバコを床にほおって、あごで拾えとしゃくるだけといった記述が続きます。
さらに有名なシーンがこれです。そのまま引用してみます。
この女たちの仕事で癪(しゃく)にさわるもう一つのことがある。足で指図することだ。(中略)
その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三人の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化もおこらない。私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。(中略)
入ってきたのがもし白人だったら、女たちは金切り声をあげ大変な騒ぎになっらことと思われる。しかし日本人だったので、彼女らはまったくその存在を無視していたのである。
いかがでしょうか。
ここまで読んでも、「それは、戦争後の勝者が敗者に見せる普通の態度ではないだろうか」と思われるかもしれません。
本ブログ筆者も、せめてそうであってほしいと思いつつ、先を読みましたが、こんな数行にぶち当たりました。
はじめてイギリス兵に接したころ、私たちはなんという尊大傲慢な人種だろうかとおどろいた。なぜこのようにむりに威張らなければならないのかと思ったのだが、それは間違いであった。かれらは、むりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感はまったく自然なもので、努力しているのではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、タバコをあたえるのに床に投げるのも、まったく自然な本当に空気を吸うようなやり方なのである。
いかがでしょうか。
日本兵の前で「あられもない姿」になって何とも思わないのも、東洋人に対する絶対的な優越感からくるものと解釈する以外ありえません。
ここまで申し上げても、まだ認めたくない方には、「ペットや虫の目の前で裸になっても、なんのてらいを感じないのと同じことを日本兵に対しても行っている」とまで言わせていただきます。
このあたりが、本書が本ブログ筆者を圧倒した部分なのです。
すなわち、英語を学ぶと「欧米人の世界に仲間入りができる」との甘いあこがれを粉砕してくれる点で圧倒的と申し上げたいのです。
この本を丁寧に読むと、現在、公共放送で流されているような、旅に出ると、街角で必ずと言っていいほど、外国人が微笑みつつ人懐っこく話しかけてくれる映像とか、日本に来た外国人が「なんといい国に来たんだ」と大絶賛する映像などについての解釈が変わってくるでしょう。
いや、あれをあのまま信じたい気もわからなくもありません。
しかし、会田雄次の半分くらいでもいいので、現実的な世界を踏まえたうえで、英語を学んだり実際に外国人相手に使ったりするのが、妥当なのだと自分は思います。
これほどまでに屈辱的な経験こそないものの、どこかに例の「絶対的な優越感」をつきつけられた体験は、あるからです。
このあたりの感覚についてはTOEICや英検のテスト、受験英語では得られません。
その意味で、ぜひ本書の一読をおすすめします。いい意味でのワクチンというか抗体になりえます。
以上、あなたの英語学習法や、英会話上達のヒントにしていただければ、幸いに思います。