ここでは、英検にこだわらず「ためになる英語」について説明をしていきます。
まずは、ある旅のエピソードを紹介したいと思います。
今から20年くらい前、冬のフランス、パリでの話です。
出張先のホテルで早く目覚めた自分は、曇り空の中、ひとり散歩に出かけました。
距離にすると1キロにも及ばない距離でした。
ところが、気が付いたときは、ホテルに戻れる手立てが無くなっていました。迷ってしまったのです。
当時は、ガラケーすら誰も持っていない時代。しかも、その時は、ホテル周辺の地図も持っていませんでした。
見回しても、どこの筋からここに来たのかさっぱり思い出せません。
おまけに目印になるようなもの、ランドマークはなし。道も碁盤の目のように整然としていないので、逆算してホテルをたどることもできない。途方に暮れてしまいました。
ところが、そのとき、少し離れたところに婦人警官が立哨をしているのを発見しました。
早速、婦人警官に近づいて、ホテルで手に入れた名刺のようなものを差し出しました。そこには、ホテルの住所が記載されています。英語でひとことふたこと話しかけたように思いますが、よく覚えていません。
仮にそうだったとしても、彼女は英語が喋れなかった、あるいはしゃべらなかったのです。
しかし、彼女は、フランス語と身振り手振りでホテルへの道筋を示してくれました。
そして、なぜか、自分には彼女の言っていることがほぼすべて理解できたのです。フランス語がまったくわからないのに。
結果、5分とかからずにホテルに無事戻ることができました。まったく迷うことがなしに。
もうひとつ、似たような話をご紹介しましょう。
それは、15年くらい前の北京で起きたことでした。
タクシーに乗ってある場所に向かったのですが、降り際に運転手がしきりに「謝るような口調」でアピールしています。
北京語です。自分は、ニイハオ、シェイシェイ以外はまったくこの国の言葉を話せません。
しかし、彼の伝えようとしたことはわかりました。もちろん、確証はないのですが。
「悪いけどさ、この大通りは、左折もUターンもできないから、ここで降りてそこの横断歩道渡ってくれないか」
です。
自分の行きたい建物は、大通りに向かって左側にあったのです。
ところが、中国で車は右側通行。日本のように左側通行であれば、止めたところでタクシーを下り、そのまま目的の建物に行けるのですが、右側通行なので、運転手の言うようにしないといけないわけです。
この北京でのエピソードといい、先に紹介したパリでの話と言い、「外国語を知らなくても、いつでもだれとでも意思疎通がはかれる」などと短絡的に結びつけるつもりはありません。
しかし、日本人の場合、外国語を使う時とか外国人を相手とする時、「触ったことのない楽器で1曲奏でてみろ」と言われたかのように構えてしまう傾向が強すぎるように思います。
実際には、そんなに防御するような姿勢を取らずとも、そんなに肩をいからせて構えなくても、どうにかなるものなのです。
もちろん、英語学習はした方がいいけれども、上達には時間がかかります。
しかし、とはいえ、手持ちの英語での受発信能力だけでも、最悪の場合、それがゼロでも、結構どうにかなるものなのです。
少なくとも、そういった心持がないと、日本人はいつまでたっても、「英語使わない人」、「英語使えない人」という状況になってしまうのではないでしょうか。
TOEICスコアが上がった、英検の級が上がった。それもいいでしょう。
しかし、なんだか日本人の完璧主義を象徴しているようで、疑問に思います。いや、異様と思ってもいいくらいです。
そんなところにばかりこだわって、実行に移さないとしたら、一体なんのための英語学習なのでしょうか?
いや、違うとおっしゃる方は、↓もご一読ください。
以上、あなたの英語、英会話上達のヒントにしていただければ、幸いに思います。