英語、上級者、それで?それだけ?(の続き) | ひとときのときのひと

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広告業界で鍛えたから、読み応えのある文が書ける。
外資系で英語を再開し、アラカンでも英検1級1発合格。
警備業界にいたから、この国の安全について語りたい。

そんな人間が、ためになる言葉を発信します。
だいたい毎日。



まずは英語から。

 TOEIC900未満でもアラカンでも英検1級1発合格はできる。そう信じて、準備をして実現しました。

 

 そのノウハウについては、相当数を既に投稿しています。ここでは、直前の投稿の続きを述べてみようと思います。

 

 未読の方は↓をぜひお読み願います。

 

 

英語上級者に多く見られがちな、「級や点数に対する、実務を置き去りにしたかのような異常なまでの執着」や「資格活用における利他的な姿勢の乏しさ」など、問いかけをさせていただきました。

 

 ここでは、上掲投稿で指摘した点以外にも目につく、英語上級者の行動につき気が付いた点を指摘させていただきます。

 

 なお、英語上級者にこのような傾向が見られると申し上げているのであり、全員が全員がこうである、などと決めつけているわけではございませんので、ご留意の程お願いいたします。

 

 3.なぜ「自分の考え」「自分なりの発見」をもっと出そうとしないのでしょうか?

 特に英検1級ともなれば、「自分の考え」があるかどうかが試されています。少なくとも、合格者の場合、それをクリアしているはずなのに、英語スキルの使い方に関して「自分の考え」や「オリジナリティ」を活かしている方をあまりお見かけしません。(これも、全然見かけないとまでは申しません)

 

 いや、その、あなたの資格英語の教え方にオリジナリティはあるかもしれません。

 

 もっと世のため、人のためにあなただけの情報をなぜ出さないのですか、と問いかけてさせていただいているのです。

 

 海外のグルメ紹介ですって?旅行記ですって?

 

 たしかに世のため、人のためになるかもしれませんが、英検1級でなくてもできることではありませんか。

 

 英検1級の学習をしているときに、あれだけ、たとえば格差の問題や環境問題について書いたり、あなたは話す練習をしました。

 

 にもかかわらず、それはどこかにしまい込んでしまう人生。どこかに捨て去ってしまっている生き方。

 

 あの「おべんきょう」は、「英検1級を取るための方便」とか「ひとときの教養ごっこ」でしかなかったのでしょうか。

 

 ちなみに自分は、こんな本を書きました。2023年12月現在、類書は見当たりません。

 

 

 

 たとえば、駅ピアノとかでときどき聞く「オリジナル曲」。プロの作曲でなくても、聞かせる曲はあります。しかし、だいたい、どこかで聞いたようなのが多い。

 

 なぜか。

 

 発見とかカンドーを根っこにしてこしらえていないからです。

 

 自分自身が「おお!」と思ったわけでないにもかかわらず、なんとなく気持ちいいままに「出来上がってしまった曲」。それはは、きれいなメロディやハーモニーかもしれませんが、作者(演奏者)が思っているほど、受け手には届かないのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 

 つまり、英語を通じて訴えるにせよ、「自分なりの考え」というものは、なまなかあるものではないのです。だいだいが、付け焼刃なのです。

 

 しかし、だからといって、「私の意見なんてたいしたことないさ、だから、特に述べる気ははありません」とおっしゃるとしたら、いかがなものでしょうか、と言わざるをえません。

 

 興味のある方は、↓もぜひお読みください。

 

 ちなみに自分は、日本の安全保障に関する本についても和訳の出ていないものの中から、こんな風にあらましを紹介したり、書評のようなものを投稿しています。(未読の方は↓一読願います)

 

 いや、こんな「おかたい」本でなくてもいいでしょう。

 

 テニス好きなら読んでみたいと思うようなものについて、紹介するのもありです。(未読の方は↓一読願います)

 

 

 つまり、やろうと思えば、英語上級者のできること、するべきこと、求められていることは、まだまだ他にあるのではないのでしょうか。

 

 それが、どうみても足りません。今のこの国では。

 

 いや、そんなことはない、とお思いのあなたには、こちらの投稿のご一読をおすすめします。

 

 以上、英語や英会話の参考書には記載されていないかもしれませんが、「英語、上級者、それで?それだけ?」という趣旨の続きを書いてみました。本当の意味で、あなたにとって「ためになる英語」のヒントになれば、幸いです。