エピローグ「日本の21世紀の再起」を要約しての感想 | ひとときのときのひと

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まずは英語から。

 日本研究の第一人者であるケネス・B・パイル氏。同氏の未邦訳「Japan Rising」のエピローグ「日本の21世紀の再起」の要約をしました。

 

(未読の方は↓ご一読願います)ます。

 

 以下、感じたところを共有したいと思います。

 

1.日本は本当に声を取り戻しているか

 本章では、まさにこの書物の最後を飾るにふさわしい「日本の再起」が述べられています。文中、(著作発表時点の2005年ごろの)今は、まだバブル崩壊の痛手から日本が回復するのにあと15年はかかるとありました。

 

 2024年の現時点、株価が36,000円を突破しているところからすると、確かにこの予言通りになっているのかもしれません。

 

 また、日本はここ数年で本著者のパイル氏が予想したように「モノ言う」日本になってきたのも事実でしょう。少し派ではありますが。

 

 たとえば、2018年のIWC(国際捕鯨委員会)からの脱退です。これにも「裏」があるようで、なにも手放しで礼賛するわけでは決してありません。

 

 が、少なくとも、それまでの日本であれば、ここまで「モノ言う」態度を取らなかった可能性が高い。

 

 また、2023年G7のサミットの最中にゼリンスキーウクライナ大統領の電撃的訪日を演出したことも(日本にどの程度主導権があったかどうかは一旦おくとして)「モノ言う」態度のひとつなのかもしれません。

 

 つまり、そのくらいの変化が、この15年から20年くらいの間にあったとは、感じています。

 

 しかし、これ等の行動は何を是としているものなのか、どんな理念をもって「モノ言う」態度を取っているのでしょうか。

 

 いままでの各章の「感想」でも繰り返し申し上げてきましたが、このような言わば新しい日本の態度の根っこにあるものは、何なのでしょうかと、いう疑問です。

 

 「そうしておいた方が、得だから」といった従来同様の実利主義、便宜主義からきたものだとすれば、将来が思いやられます。

 

 このようなご都合主義の延長で、また沈黙してしまったり、煮え切らない態度をとってしまうのではないかとの危惧があります。

 

 しかし、世界全体が、どう見ても「食うか食われるか」を露わにしている今、単に日本が再起しているかどうかに一喜一憂するのではなく、何を国是とするのかを明確にしていくべきではないでしょうか。

 

 もちろん理念や理想にとらわれて、身動きがとれないとか国の内外に混乱を起こすといった無様な例もたくさん見受けられます。

 

 しかし、そのような人工国家の国家理念とは異なる、ある程度、歴史や伝統を踏まえた価値観を国民の中で確認しあい、それをもとに行動していくことが必要なのではないでしょうか。

 

 繰り返し述べてきましたが、世界は、日本のような「気配り」とか「忖度」では動いていないからです。やや、乱暴ないいかたかもしれませんが、「言ったもの勝ち」「やったもの勝ち」で激動しているからです。