日本研究の第一人者であるケネス・B・パイル氏。同氏の未邦訳「Japan Rising」の第四章「国家群の中の成長」の要約しました。
(未読の方は↓ご一読願います)
以下、感じたところを共有したいと思います。
1.日本人の病的なランキング好き
著者のパイル氏は、たびたび、近代日本を形作った要因として武家社会の価値観を挙げています。
この章でも武士の位階好きが日本の外交姿勢にも強く表れたと述べていました。
日露戦争後、憧れの「列強倶楽部」に入会が許され治外法権は無くなり、関税自主権も取り戻した日本。しかし、一流国としては扱ってもらえないこと、思ったようにはランキングが上がらないことに苦悩します。
とはいえ、この「国や人間の価値を位階やランキングで計らずにはいられない」という精神構造が昔も今も変わっていないのは、いかがなものなのでしょうか。
職場で、よくあるでしょう。
てっきり部長と思っていたのに、改めて相手の名刺を見てみると「部長代理」であったり「担当部長」であったり「専任部長」であったりといった光景が。
また、たったその2、3文字の違いによって、扱いを変えたり、変えられたりする風潮が。
なぜここまでわざわざ細分化して、上下の差を付けたがるのか。自分の物差しを持ちえず、常にまわりの評価を気にするタイプの「ちっちゃな」人間たちなのでしょう、私たちは。
さもなければ、一種の病気なのかもしれません。少なくとも、上下の位置関係に執着しすぎの感があります。
しかし、こんな精神構造が真珠湾攻撃に帰結するという章末の趣旨には、いくらなんでも抵抗を感じます。いまのところですが。
2.ナショナリズムの難しさ
自国の伝統や文化に一度は目をつぶって西洋化、「文明開化」の道を突っ走っていた日本。いったん「列強倶楽部」に入会が許されると、こんどは「僕って、何?」に目覚めます。この「僕って、何?」の答えこそ世界に承認されるために必要だったからです。
しかし、政府が考えた伝統的価値観の国民へのアナウンスは「教育勅語」発布でした。
同勅語の根底にある思想が、どうみても儒教的倫理観であり、真の日本的倫理観では必ずしもありません。
非常に考え抜かれているように当時の巷間では言われていたのかもしれませんが、自分から見れば「やっつけ感」がぬぐえません。
一方、在野でもさまざまなナショナリズムの在り方が検討されますが、なかなか国民的コンセンサスとしてすっきりしたものにはならなかったようです。
そんな上からのナショナリズム強制も下からのナショナリズム論議も、おそらく客観的に見れば、非常に理解しがたく、スッキリしない形に映るであろうところは、100年前も今も少しも変わらない気がします。
いや、きちんとしたナショナリズムの話さえ、誤解されそうになる国、日本ではありませんか?