「英語を好きになろう」はホドホドにしたほうが続けられる | ひとときのときのひと

ひとときのときのひと

広告業界で鍛えたから、読み応えのある文が書ける。
外資系で英語を再開し、アラカンでも英検1級1発合格。
警備業界にいたから、この国の安全について語りたい。

そんな人間が、ためになる言葉を発信します。
だいたい毎日。



まずは英語から。

 TOEICや英検といった、資格試験が、予想以上に役に立つものなのだ。という話は既に多数投稿しています。

 

 ここでは少し切り口を変えた形で「ためになる英語」について考えを共有したいと思います。

 

 一体いつから、日本人は学習や修練の動機付けとして「楽しい」とか「好き」とかいったワードを多用するようになったのでしょうか。

 

 戦前戦中の軍隊における鉄拳制裁や戦後における高校野球等に代表されるスパルタ教育に対する反省からでしょうか。

 

 あるいは、いわゆるアメリカ流の教育思想の浸透からなのか。

 

 しかし、こと英語に限っては、このワードをあまり信じないこと、頼りにしないこと、ホドホドにしておくことを敢えておすすめしたいのです。

 

 なぜか。

 

 そもそも「好き」とか「気持ちいい」とか「楽しい」は、感情でしかないでしょう。

 

 そんな生あたたかい感情が長い時間、安定的に使える燃料として適切なわけがないではありませんか。それは、中年を過ぎていわゆる「やり直し英語」で英語屋になった経験から、確かな事実として言わねばなりません。

 

 「それでも、楽しくなければ勉強じゃない」と言う方にはこんな形で問いを投げかけてみましょう。

 

 たとえば、小さいころに寝る間も起きている間も、肌身離さず持っていたおもちゃ。ありましたよね。大人になったあなたは一切捨て去ることなく、それを持っていますか?

 

 たとえば、大好きだった「あの人」。いましたよね。その人をこの世で一番憎い人間と思ったりしたことが、一度もないと言い切れますか?

 

 そんなフラフラしがちな「好き」だの「楽しい」といった感情に英語とかのスキルアップの原動力を任せて、うまくいくわけがないでしょう。

 

 日本にいる限り、フツーの人は日常英語を使わない。とすれば、残念なんですが、好き嫌いだの楽しい苦しいは忘れてしまいましょう。そんなもを、感じないふりをして、少しずつ修練を続けていく。

 

 感情なんて水物ではなく、カチッカチッとねじ回しでも回し続ける感じでいくのが、長続きの秘訣ではないでしょうか。

 

 少なくとも自分は、そうしてきました。還暦ごろに英検1級1発合格も、その考えと行動の先にありました。

 

 それは確かです。

 

 以上、英語学習のヒントになれば幸いです。