(76) 耆婆・月光ねんごろに  是旃陀羅とはぢしめて ー差別は作られているから脱出もできるー | 新・坊主日記

新・坊主日記

2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

おはようございます。

お葬式がありました。92歳の老人です。コロナ時期にもかかわらずたくさんのお参りでお孫さんの挨拶に胸を打たれました。

おじいさんに愛され育ち、そのおじいさんを尊敬し愛している気持ちが溢れていました。

 南無阿弥陀仏

 

今日は土曜日でブラジルの青年も一緒にお参りします。皆さんもぜひ一緒にお参りいたしましょう!

 

 

正信偈 Shoshingue p29

https://www.dropbox.com/s/yzwfdyup0v4wxn8/gongyo-shu.pdf?dl=0

 

 

それでは一緒にお参りいたしましょう!

 

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(76)

耆婆・月光ねんごろに

 是旃陀羅とはぢしめて

 不宜住此と奏してぞ

 闍王の逆心いさめける

 

(76)

耆婆・月光ねむごろに

是旃陀羅とはぢしめて

不宜住此と奏してぞ

マウス反

コヽニトヾマルベカラズトマフシケルナリ

闍王の逆心いさめける

 

Giba Ga’kô nengoro ni

Ze sendara to hajishimete

Fugijûshi to sô shite zo

Sha-ô no gyaku-shin isamekeru

 

Os ministros Giba e Ga’kô, polidamente advertiram o Rei Ajase,

Dizendo que matando a mãe ele se tornará um pária

E não poderá mais permanecer no palácio.

E desse modo conseguiram dissuadi-lo desse ato ultrajante.

 

Shinran Shônin (Jôdo Wasan – Hinos de Louvor à Terra Pura inspirados no Sutra da Contemplação)

Rev. Wagner Haku-Shin / Shinshû Ôtani-Ha Apucarana Nambei Honganji

http://honganji.org.br

 

お西オフィシャル

(76)Jva'e Candraprabha ’polidamente 

Advertiram-no dizendo: "Istoéum ato de Candala”

Dizendo-Ihe: “Náo podes permanecer aqui”

Eles dissuadiram o ReiAjāta' da ultrajante tentativa。

 

1 Jiva耆婆:Ele se tornou nummédicofamoso ao curar o rei e o Buda de suas doencas。Sendo um ardoroso budista、ele mais tarde levouAjātasatruao Budismo。

 

2 Candraprabha月光:Um ministro da corte do Rei Bimbisāra。

 

3Candāla施陀羅:Significa um pária、isto é, uma pessoa mais baixa do que a mais baixa das quatro castas na sociedade hindu。

 

4 ReiAjāta闍王:Refere-se ao Rei Ajātasatru。

 

感話

今回は「是旃陀羅」を中心にお話ししました。

インドのカースト制度は今でも色濃く残っています。もうお釈迦様の時代には存在していたのです。お釈迦様はその制度と戦ったと言ってもいい存在でした。仏教教団に一旦入れば、どんな罪人とされた人も平等に輪に加わったと言います。

 しかし社会の差別構造はインドだけの話ではありません、日本でも行われ、今回の「是旃陀羅」という言葉を利用してお寺自身が差別をおこなった悲しい歴史もあります。

 平和と自由と平等の道を説く仏教も誤って受け取ると悲惨な状況を引き起こします。「是旃陀羅とはぢしめて」という表現そのものが差別がある社会の構造を利用して人を動かしていこうという悲惨な働きをしています。いまでも言葉は違っても同じ構造で人を説得する時に使われる手法です。しかもこのお経の場面と同じく「よかれと思って」このように忠告をするのです。 

 差別の構造を知ることによって、差別の心を持っているこの私に気づかされる事が差別から脱出する一つの方法なのではないでしょうか。

 

それではまた明日も一緒にお参りいたしましょう。チャオチャオ!!

 

 

ご感想、ご意見お待ちしております。

 

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