5-12 御袖の御文 ー三つの行為で体得する人生ー | 新・坊主日記

新・坊主日記

2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

5-12 Carta sobre a confiança em Amida. Bom-dia Rito matinal do Templo em Narília. ブラジル🇧🇷お寺から朝のお参り

 

おはようございます。

今日は動画の中継の前に今日のお勤めのリンクをチャット欄に挿入するアイデアを実行しました。初めてきた方でもそれを読みながら一緒にお参りできたら嬉しいです。

 余裕がある人は印刷して手に持ってお参りしたほうがより楽にお参りできると思います。とはいえ日本ではお経の本が沢山格安で手に入るので、ブラジル人向け、もしくはアルファベット表記があったほうが読みやすい人用になるかな?

 でもそのページにはYou Tubeにアップした伽陀や回向の読み方などもありますので練習に使ってみてください。

真宗ではお経はお坊さんだけが読むものではなく御門徒も一緒に同じように読むものです。最初は全然意味がわからないかもしれませんが、続けていると意味がわかったりしてきます。またお寺で法話を聴聞するとき、仏教の専門用語がでてきても理解しやすくなると思います。 外国語習得と一緒ですね。私はポルトガル語を下手ながらも毎日読んでいると、やはり違います。

 

 

さて、今日は阿弥陀経のお勤めです。

 

阿弥陀経の他朝のお参りのテキストやリンクページを作りました。ここからテキストをダウンロードして印刷したり、

You Tubeを見て練習したりできます。ご活用ください。

 

 

 

 

それではご一緒にお参りいたしましょう。

 

 

5-12 御袖の御文

 

 当流の安心のおもむきをくはしくしらんとおもはんひとは、あながちに智慧才学もいらず、ただわが身は罪ふかきあさましきものなりとおもひとりて、かかる機までもたすけたまへるほとけは阿弥陀如来ばかりなりとしりて、なにのやうもなく、ひとすぢにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまゐらするおもひをなして、後生をたすけたまへとたのみまうせば、この阿弥陀如来はふかくよろこびましまして、その御身より八万四千のおほきなる光明を放ちて、その光明のなかにその人を摂め入れておきたまふべし。

さればこのこころを『経』(観経)には、「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨」とは説かれたりとこころうべし。さては、わが身のほとけに成らんずることはなにのわづらひもなし。あら、殊勝の超世の本願や、ありがたの弥陀如来の光明や。この光明の縁にあひたてまつらずは、無始よりこのかたの無明業障のおそろしき病のなほるといふことはさらにもつてあるべからざるものなり。

しかるにこの光明の縁にもよほされて、宿善の機ありて、他力信心といふことをばいますでにえたり。これしかしながら弥陀如来の御かたよりさづけましましたる信心とはやがてあらはにしられたり。かるがゆゑに行者のおこすところの信心にあらず、弥陀如来他力の大信心といふことは、いまこそあきらかにしられたり。 これによりて、かたじけなくもひとたび他力の信心をえたらん人は、みな弥陀如来の御恩をおもひはかりて、仏恩報謝のためにつねに称名念仏を申したてまつるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

 

 

感話

 

今日は現代の聖典 蓮如五帖御文の(大意)に書かれていた。解説によると。

かかる機までもたすけたまへるほとけは阿弥陀如来ばかりなりとしりて、なにのやうもなく、ひとすぢにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまゐらするおもひをなして、後生をたすけたまへとたのみまうせば、」の「すがりまゐらする」身の行い(身業(しんごう))「おもひをなして」(意業(いごう))「まうせば」(口業(くごう)) の三つの行為(業)を言って、三つの行為で念仏の智の境地に立つと言われていたが、その説に反対をとなえた学派が出現し大論争になりその挙げ句に幕府にどちらが正しいか決めてもらい、三つの行為はいらないという事になったそうです。

 本願寺派(西本願寺)の有名な事件のようです。

例えばある権威が三つの行為をしなさいと強制したらそれは違うでしょうが、生活全体ですべての人が共に救われていく道に立ちましょうという教えであれば、体と、心と、言葉を尽くして念仏の教えを大切にしていく道は正しいと思います。

 私たち人間は詰まるところ三つの行いで毎日生きていますもんね?

念仏の教えはそのようにどんな生活の中にも私のこのつまらないような思いや、言葉や、行いの中にも大切な命が輝いていて、共に生きていける願いが込められている事を教えてくれるのだと思います。

皆さんはどう思いますか?

念仏の教えはこのように自由に自分で考えて、日常の言葉にその意味を尋ね、話し合い。共に生活していく原動力になってくれる元のことではないかと私は思っています。

 

それではまた明日一緒にお参りしましょう。チャオチャオ!

 

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