5-13 無上甚深の御文 ー最高の奥深いご利益を得る為に必要な信心とはー | 新・坊主日記

新・坊主日記

2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

5-13 Carta sobre as virtudes e benefícios profundos e insuperáveis. Bom dia Rito matinal do Templo

おはようございます。

今日はバウルへ行ってきました。

マリリアから来るまで一時間半くらいの市ですがマリリアよりも人口も多い街です。コロナ対策としては各市で違うのですが、お寺の会合に関して言えばバウルのほうが緩やかでした、距離を開けるとかマスクをするという対策をすれば会合をしたり法事もできるようになっていました。

 ここマリリアは人口も少ないし被害者も少ないのですが、お寺の法事は禁止です。わからないものです。

 

さて、今日は正信偈のお参りです。

こちらからお勤めの本をダウンロードできます。 

正信偈は29ページからとなります。動画内でもページ数をアナウンスしております

 

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ご質問、意見、感想などなんでもコメントください。

お待ちしております。

 

 

5-13 無上甚深の御文

 

それ、南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わづかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼえざるに、この六字の名号のうちには無上甚深の功徳利益の広大なること、さらにそのきはまりなきものなり。されば信心をとるといふも、この六字のうちにこもれりとしるべし。さらに別に信心とて六字のほかにはあるべからざるものなり。

 そもそも、この「南無阿弥陀仏」の六字を善導釈していはく、「南無といふは帰命なり、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふはその行なり。この義をもつてのゆゑにかならず往生することを得」(玄義分)といへり。しかればこの釈のこころをなにとこころうべきぞといふに、たとへばわれらごときの悪業煩悩の身なりといふとも、一念阿弥陀仏に帰命せば、かならずその機をしろしめしてたすけたまふべし。それ帰命といふはすなはちたすけたまへと申すこころなり。されば一念に弥陀をたのむ衆生に無上大利の功徳をあたへたまふを、発願回向とは申すなり。

この発願回向の大善大功徳をわれら衆生にあたへましますゆゑに、無始曠劫よりこのかたつくりおきたる悪業煩悩をば一時に消滅したまふゆゑに、われらが煩悩悪業はことごとくみな消えて、すでに正定聚不退転なんどいふ位に住すとはいふなり。このゆゑに、南無阿弥陀仏の六字のすがたは、われらが極楽に往生すべきすがたをあらはせるなりと、いよいよしられたるものなり。されば安心といふも、信心といふも、この名号の六字のこころをよくよくこころうるものを、他力の大信心をえたるひととはなづけたり。かかる殊勝の道理あるがゆゑに、ふかく信じたてまつるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

 

感話

 

念仏には他とは比べ物にならないくらいの大きな功徳があると強調しています。浄土真宗は現世利益は人間の功利的なエゴを満たすものとしてあまり強調しない風潮があると思っているのですが、蓮如上人は大絶賛です。親鸞聖人も現世利益和讃という題名をつけて沢山の詩を書いておいでになります。

 それには私達の思いを超えたご利益があるからでしょう。つまりお金がほしいという欲望や性欲、名誉欲は宗教の教えを持ち出すまでもなく、際限がないと言われています。つまりお金を儲けても儲けてももっと欲しいので満足できず、あったらあったで取られることが心配になったりと心配事も増えるそうです。私も一度は際限がないなーって言ってみたいですがもしかしたら他の人にしてみたら私はもう十分お金持ちなのかもしれません。

 性欲や名誉欲も同じです。性欲では最近私の好きなお笑い芸人のアンジャッシュの渡部さんもどえらいことになってますね。

巷の記事で「美人な奥さんをもらっているのにけしからん」的な事が書いてありますが、あまり美人でない奥さんだとしても裏切ったらけしからんでしょう。ナマンダブ

 

 ですからここで蓮如上人がおっしゃっている大功徳とはそういう私の欲望を満たす以外に素晴らしい功徳があるよ! とおしゃってくれているのです。それは信じるものが救われるのではないということです。何一つとして信じられない私の根性を「われらが煩悩悪業」とおっしゃっています。

 たとえお金など欲望を満たしてくれる対象がたくさん手に入ったとしても満たされない状態が偶像を拝む状態と同じなのです。だから何かを信じて拝むという自分中心の信心の過ちに気がついたその時に「われらが煩悩悪業はことごとくみな消えて、すでに正定聚不退転なんどいふ位に住すとはいふなり。」とおっしゃっています。

逆説的な話になってしまいますが罪が消えないという認識に生きることが罪が消えた状態です。罪から逃げる人生から開放されるのです。 それこそが自分だけが助かっていく地獄の人生から共に助かっていく人生の道に一歩踏み出すときなのです。 

 自分では一歩も踏み出すことなんてできないはずなのに開けてくる人生だから本願他力の信心の事を大信心と言い習わしています。

 つまりー最高の奥深いご利益を得る為に必要な信心とはー

他力の大信心のことなのです。

 

 

それではまた明日一緒にお参りいたしましょう!チャオチャオ!

 

 

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