5-7 五障三従の御文 Bom dia Rito matinal do Templo em Marilia. ブラジル🇧🇷お寺から朝のお参り中継🙏😊
おはようございます。
昨晩はファビアと鍋をしました。冬は鍋ですね! 豆腐、ビーフン、人参、シメジ、鶏肉、白ネギ、白菜、を入れて出汁も昆布と干し椎茸をいれて、でもほんだしも少々使いました。つけ汁は濃縮三倍の汁にレモンをたっぷり絞り、ごまもかけて、大根おろしをミックスしました。最高でした! ファビアも喜んでくれてよかったです。 サンパウロから離れたここマリリア市でもこんだけの材料が手に入るのはありがたいことです。 街はすごい勢いで活気を取り戻してきています。それも嬉しいです。
さて、今日は阿弥陀経のお勤めです。
伽陀テキスト
阿弥陀経 8ページ
短念仏
和讃 十方微塵世界の 添 万行の 50ページ
御文はページの下に原文を掲載して、リンクを辿れば言葉の意味もわかるようになっております。
最後に私の感話を書いています。 感想や質問、なんでも書き込みしてくださいね。
動画をクリックしたら一緒にお勤めをできるようになっています。一緒にお参りいたしましょう。
5-7 五障三従の御文
それ、女人の身は、五障・三従とて男にまさりてかかるふかき罪のあるなり。
このゆゑに一切の女人をば、十方にまします諸仏も、わがちからにては女人をばほとけになしたまふことさらになし。しかるに阿弥陀如来こそ、女人をばわれひとりたすけんといふ大願(第三十五願)をおこしてすくひたまふなり。このほとけをたのまずは、女人の身のほとけに成るといふことあるべからざるなり。
これによりて、なにとこころをももち、またなにと阿弥陀ほとけをたのみまゐらせてほとけに成るべきぞなれば、なにのやうもいらず、ただふたごころなく一向に阿弥陀仏ばかりをたのみまゐらせて、後生たすけたまへとおもふこころひとつにて、やすくほとけに成るべきなり。このこころの露ちりほども疑なければ、かならずかならず極楽へまゐりて、うつくしきほとけとは成るべきなり。さてこのうへにこころうべきやうは、ときどき念仏を申して、かかるあさましきわれらをやすくたすけまします阿弥陀如来の御恩を、御うれしさありがたさを報ぜんために、念仏申すべきばかりなりとこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
感話
今日の御文は中継でも感話でもお話ししましたが、差別からの救いがテーマになっています。現在アメリカで黒人差別の問題が大きくなっていますが、日本でも部落差別問題が今でも続いています。インドでもカースト制度での差別問題があります。女性差別、性差別もまた学校ではいじめが問題になり、大人になって働いていても差別は続きます。どうやったら差別から解放される時が来るのでしょうか?
蓮如上人は、「かかるあさましきわれらをやすくたすけまします阿弥陀如来の御恩を、御うれしさありがたさを報ぜんために、念仏申すべきばかりなり」と応えています。
差別をなくすために立ち上がるためには、まず私の中にある差別心(あさましいきわれら)に気付き、自らに恥いて懺悔することから始まると教えてくれます。でないと差別する「他人」を責める事は新たな暴力の連鎖を生み出してしまうのです。差別をなくそう!という正義感が却って悲しみを生み出します。そして自らが人と比べて自分自身を卑下することもやめて比べる必要のない自信を見出すことが大切だと思います。 南無阿弥陀仏
最後に— 1922年3月3日、京都市・岡崎公会堂にて宣言された西光万吉の水平社宣言(すいへいしゃせんげん)を紹介いたします。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。
長い間虐(いじ)められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によつてなされた吾らの爲めの運動が、何等(なんら)の有難い効果を齎(もた)らさなかつた事實は、夫等(それら)のすべてが吾々によって、又他の人々によつて毎(つね)に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。そしてこれ等の人間を勦(いたわ)るかの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際(このさい)吾等(われら)の中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者(かっこうしゃ)であり、實行者であつた。陋劣(ろうれつ)なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であつたのだ。ケモノの皮剝
はぐ報酬として、生々しき人間の皮を剝取られ、ケモノの心臓を裂く代價(だいか)として、暖(あたたか)い人間の心臟を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸(か)れずにあつた。そうだ、そして吾々は、この血を享(う)けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印(らくいん)を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠(けいかん)を祝福される時が來たのだ。
吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ)なる行爲によつて、祖先を辱しめ、人間を冒瀆してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦いたはる事が何なんであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃(がんぐらいさん)するものである。
水平社は、かくして生れた。
人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ。
大正十一年三月— 1922年3月3日、京都市・岡崎公会堂にて宣言
※締めくくりの言葉にある(人間)を(じんかん)と読むのは仏教由来である。「人に個別に光があたるんじゃなくて、人と人の間の万物すべてに光があたることで、人も物も平等になるという意味」とのこと。
それではまた明日一緒にお参りいたしましょう。チャオチャオ!
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