家族の人はぼんちゃん呼ぶ、鹿児島のお寺の住職であり、自由俳句を愛するお坊さんである。
あをあをと
佛は いつも
裸足なり
写真向かって右の石碑の句碑はぼんちゃんの作。
新鮮で飾らない響きが大好で。 実家に帰るたびに庭の句碑の前でうれしくなる。
仏教は偶像をきらうので、お釈迦様亡き後、一切仏像は作られなかったそうだ。
見た見た目に惑わされる人の心の弱さを、偶像を作らないことで戒めたのだろう。
しかし、お釈迦様の教えに集う内、佛の足の形がお釈迦様の教えそのもののシンボルとなった。 それが佛足である。
飾らない、飾る必要のない人生を軽やかにあゆむ、足の裏に青々と薫る芝を感じながら。
たとえイバラの道を歩んでいるように見えても。
人はみんな裸で生まれてきて、人生の中でいろいろなものを得ても、いずれすべてを返してまた裸になって帰っていく。 どうしようもないように思える辛い道のりでさえ、頂いたものである。
この句をしたためたおじさんは、知的で紳士的な部分も持ちながらも飾らない人であり、酒が大好き、話が大好き。 そしてホンのすこーしだけ破滅型の危うい面も言の葉や、背中に漂わせる多面性が人間味に深みをそえ魅力的、大好きである。
久しぶりに一緒にお酒を飲んで楽しかった!
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