南米本願寺の事務を司っている磯(いそ)さんは語学が堪能で、毎日のようにブラジル人が日本語を学びに来る。
そして私達別院に勤めている僧侶も磯さんにポルトガル語を学んでいます。
今日の授業でTomizawaさんから、
「葬式の時に、どうしてリンゴやナシをお供えするのか質問をされて、どう答えていいかわからなかった」
という質問が出た。
すごい!
私ならどう答えるか以前に、まず質問の内容がわからなかっただろう。
さて、その質問からわかった事ですが。
ブラジルのキリスト教の葬儀や法事では食べ物のお供え物をしないそうです。お供えするのは花のみ。
だから、たまに仏式の葬儀や法事に参列した現地の人は、いろいろと不思議に思うらしい。
またキリスト教では葬儀(ミサ)と葬儀後のミサ(約7日後にする)は親戚友人等を呼んでお勤めをするけれど、日本のように49日100ヶ日、1周忌などの法事はしないし、法事の後に皆で食事をする事もしないそうで。
家族で一年に一回のお墓参りをする程度だとの事です。
法事の後に食事をしていると、「日本人はミサの時にフェスタをする」といぶかしがられるそうです。
私達日本人の感覚からすると法事をしたのに、それで解散というのは愛想がないというか、来た方々に失礼に当たるというか、メインがない!というような感じになってしまうのではないでしょうか?
私が記憶している話では日本航空123便墜落事故 や 阪神・淡路大震災とアメリカのアメリカ同時多発テロ事件後の遺族の精神的ダメージの回復を検証した記事で、日本の方が回復が早かった理由の一つに、日本には法事をする習慣がある事を挙げていた新聞記事がありました。
また、ある精神科医は仏事で49日までの法要を家族や親戚、または町ぐるみで執り行う習慣を聞いて、
「ああそれは残された人間にとって大変な心のケアーになりますね」と発言されたという話を思い出した。
皆で集まってお勤めをして、仏話を聞き、食事をしながら話をする。その営みの中に心を安らかにする働きがあるのだと思います。
お互いに法事で集まって「元気だった?」とか「(亡くなった)おじいちゃんは厳しい人だったね~」「おばあちゃんは最後までおしゃれな人だった」などと、たわいもない話をする事が、自然と自分自身の歩んで来た人生を見つめ直す機会になっているのだと思います。
法事の習慣は日本でも少なくなっていますが、ブラジルでも少なくなっているようです。特に3世4世はキリスト教に転派している人が多く、お婆ちゃんの法事だから別院に来たけど、次の代からはキリスト教方式にする方が増える傾向にあるようです。
そうはいっても、別院に来る方々は日本よりファミリアの団結が強いような気がします。そして子供達や若者は、親やおじいちゃんお婆ちゃんをとっても尊敬し優しくケアーする事が体に染み付いていて。自然とそれが態度に出ているのには感心します。
法事の習慣が無くなると仏教は哲学のみになって、時間が経てば、その哲学も形骸化していくような気がします。
死を通して人生を見つめる習慣がこのように自然に営まれる儀式、「法事」は大切な儀式であると改めて思いました。
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