前回の補足ですが、専門的になりますが、中国の善導大師
(ぜんどう、ピンイン:sh`an-d~ao、613年 - 681年)が「帰去来、魔郷には停まるべからず」と、浄土を凡夫(ぼんぶ)の故郷に見立てて「みやこへかへる」と仰った事が、浄土を故郷となぞらえた原点になるようです。
「魔郷」とはこの世の中の事をさしています。
さらに、
「故郷は遠くにありて思うもの」は、室生犀星
の詩だと、初めて知りました!てっきり石川啄木
かと思っていました。
以下に室生犀星
全文を掲載します
「ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや」
[小景異情ーその二] より
なんか、悲しいですね~ しかし室生犀星は故郷に戻ってこの歌を詠んでいるそうです。
故郷を遠くはなれて、懐かしむように歌ったのではなく「戻っては来たけれど・・・」という感慨が含まれているそうです。
胸を高鳴らせ、なつかしき故郷に帰ったのはよかったけれど、よっぽど有様が変っていたのでしょうか?まるで玉手箱を開けた、浦島太郎の嘆きの言葉みたいです。
一方、石川啄木は実家はお寺だったそうです!長男です。
そして有名な詩集『一握の砂』に
ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
となんとも暖かく、かぐわしい詩があります。
遠くから思う故郷、旅立ちたくなる故郷といろいろありますね。
一方「浄土」も行く場所とも表現されるし、帰る場所とも表現されます。そして出て行く場所であるとも表現されます。
また、今ここに与えられた命に満足する世界とも表現されます。
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