さらに浄土は故郷について | 新・坊主日記

新・坊主日記

2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

前回の補足ですが、専門的になりますが、中国の善導大師 (ぜんどう、ピンイン:sh`an-d~ao、613年 - 681年)が「帰去来、魔郷には停まるべからず」と、浄土を凡夫(ぼんぶ)の故郷に見立てて「みやこへかへる」と仰った事が、浄土を故郷となぞらえた原点になるようです。
「魔郷」とはこの世の中の事をさしています。

さらに、
「故郷は遠くにありて思うもの」は、室生犀星 の詩だと、初めて知りました!てっきり石川啄木 かと思っていました。

以下に室生犀星 全文を掲載します

「ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや」

     [小景異情ーその二] より

なんか、悲しいですね~ しかし室生犀星は故郷に戻ってこの歌を詠んでいるそうです。
故郷を遠くはなれて、懐かしむように歌ったのではなく「戻っては来たけれど・・・」という感慨が含まれているそうです。

胸を高鳴らせ、なつかしき故郷に帰ったのはよかったけれど、よっぽど有様が変っていたのでしょうか?まるで玉手箱を開けた、浦島太郎の嘆きの言葉みたいです。

一方、石川啄木は実家はお寺だったそうです!長男です。

そして有名な詩集『一握の砂』に

ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな

となんとも暖かく、かぐわしい詩があります。


遠くから思う故郷、旅立ちたくなる故郷といろいろありますね。
一方「浄土」も行く場所とも表現されるし、帰る場所とも表現されます。そして出て行く場所であるとも表現されます。
また、今ここに与えられた命に満足する世界とも表現されます。

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