実家の様子2 | 新・坊主日記

新・坊主日記

2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!



上の写真の鐘は、戦後に偶然見つかったお寺の喚鐘(かんしょう)です。戦時中は金目のものは徴集されたので戻ってくるのはきわめて珍しい。しかも原爆に会っているのに、こうやって戻ってくるのは奇跡に近いのでは?


納骨堂です。まるでインドや東南アジアのストゥーパ のようでカッコいいでしょ?
子供の頃はショッカーのとりでという設定して遊んでいました。なぜなら


この納骨堂の額あたりに仏教のシンボルである があるからです。仮面ライダーのショッカー軍団のシンボルマークとおんなじ?だったからだと思う。(ネットで調べたけど出てこない)


この庭でビー玉遊びや鬼ごっこをして遊んだな~
二階の本堂から、こちら側の気が植えてある所に彼岸花も咲いていました。



本堂です。本光寺でもそうですが、最近は椅子が並べてあるお寺が多いですね。
秋の彼岸法要の日だったので内敷がかけてあります。



こじんまりした本堂です。阿弥陀仏、親鸞聖人、七高僧、のみです。広さ的には三尊前分くらいだと思います。

戦後に建てられたという事を勘定に入れても、大変モダンな本堂です。最初から埋め込み式のスピーカーもありましたし(現在は使えない)造りに西洋風な香りが漂っています。



門から入ってすぐの本堂入り口にしても、


入り口から上がってくる階段や窓際の造りなど
ちょっと他では見ない本堂だと思います。

それはきっと先先代の住職である泉原寛海 が開教師として、ハワイ別院やロサンゼルス別院にいた事が大きく影響しているのでしょう。

泉原寛海 は戦時中はハワイで捕虜になった為、原爆を免れている。私が1歳の頃亡くなっているので私はまったく覚えていない、兄はなんとな~く覚えているそうだ。

私の父は婿養子としてこのお寺に入ったが、入る前に人づてに、「ここの住職は寝言で英語を喋るくらい英語が達者だ」と聞いており少し気後れしていたが、いざその寝言を聞いてみると「キャット」とか「ドッグ」程度だったので安心した。と笑いながら昔話してくれた。

しかし、その当時にインド旅行(当時は旅行というより探検に近い)をしたり、ハワイの輪番をするくらいだから、エネルギッシュな人だったに違いない。

現在の本堂がこんなデザインになったのも無理はない。
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