戦艦大和 | 新・坊主日記

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2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

先日お参りに行ったら、亡くなった旦那さんは、戦艦大和 の設計士という事が分かった。おそらく大和の設計に携わった中では、最後の生存者だったでだろうという話だった。





前間 孝則


戦艦大和誕生〈上〉西島技術大佐の大仕事




大和といえば、この不器用な私だって子供の頃には、あこがれのプラモデルであったし、後には松本零士 作「宇宙戦艦ヤマト 」に夢中になったものだ。

本物の戦艦大和の話は、私自身の時代感覚では、相当昔の話と思っていたのに。その設計に携わった方のお参りをするとは、夢にも思わなかった。(つい最近にお亡くなりです)


 さらに驚いたのが、終戦間近に、人間魚雷こと「回天」の設計も手がけたという事であった。

回天 」とは海中を潜り敵艦に体当たりする、一人乗りの人間魚雷のことで、つまり海の特攻隊の事です。




武田 五郎
回天特攻学徒隊員の記録―止むにやまれず破った五十年の沈黙

私は広島生まれのせいか、回天の存在を知っていたのですが、おばあちゃんの話しぶりのように、誇らしい事としてではなく、悲惨な事として習い知っているので。違和感を覚えながらお話をお聞きしました。

しかし、話がおじいさんの人柄の話になって行くにつれ、設計者である亡きおじいさんも、明治生まれらしく、一本筋の通った無骨でまじめな方で。戦後は設計とはまったく関係のない仕事に付き、各種方面で活躍なさったとの事でした。また、人望の厚い方であったようです。


戦争中は相当地位の高く、戦後も職には恵まれた事が、話の中から分かってきました。

「いろいろ、いい思いをさせてもらった」

と戦事中を生き抜いた方からそんな言葉を聞いたのは初めてでした。しかし、いま思えば、私のような実体験のない者に、昔のことを言い聞かすには、華麗な部分を強調して話すしかないと、おばあちゃんは思っておられたのかもしれません。ー苦労話は理解されないーと(まして親戚・遺影の前ですし)。

おばあちゃんもまた、戦争の時代に生を受け、その中を懸命に生き抜いた人間の一人なのだと思いました。

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