マスコミの顔色をうかがう裁判官 | 石元太一のブログ

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 俺の控訴審を担当した河合健司元裁判官。

 

彼が早稲田大学で行なった講演会の講演録に

 

先日目を通してみた。

 

 

河合健司元仙台高裁長官講演会講演録

 

 

 河合元裁判官はその講演内で、

 

判事補会で一番長老の10年目の裁判官が

 

私 1 人しかいな かったため,会長をやれと

 

いうことになりました。札幌は,若い裁判官が

 

 多く,判事補もかなりの人数がいて,

 

判事補会は一大勢力でした。

 

毎月, 昼食会をやり,いろいろ議論をしたり,

 

判事補会の雑誌を出したり,さま ざまな行事を

 

行いました。最大のイベントは,判事補会主催

 

のニセコへの スキー旅行です。これは地裁,

 

家裁だけではなく,高裁の裁判官も一緒 に,

 

バスを仕立てて,ニセコへ 1 泊でスキーツアー

 

に行くのです。今でも やっており,判事補会の

 

最大のイベントです。とてもアットホームな

 

雰囲 気の楽しい旅行でした。

 

 

と語っていたようだが、

 

これってどうなのだろう?

 

”アットホームな雰囲気”なイベントを

 

謳歌するのは結構なのだが、

 

それが仕事に悪い影響を及ぼすことはないの

 

だろうか…。

 

今回俺が再審請求っを行なうにあたって、

 

ある弁護士の先生が

 

「(審理をする裁判官からすれば)

 

再審を認めるということは、

 

同じ高裁の先輩の判断を覆すことになるの

 

だから相当な度胸が必要になる」

 

と言っていたことがあったが、

 

こういった河合元裁判官の話を聞くと、

 

その弁護士の先生の言葉がやたらと

 

現実味帯びてくる…。

 

それも生々しく。

 

 また、他にも河合元裁判官の言葉で

 

気になった箇所はある。

 

 

『マスコミとは,喧嘩もしましたが,

 

仲良くもしました。最後は送別会 をやって

 

もらいました。やはりマスコミとは喧嘩ばかり

 

では駄目です。仲 良くしておかないとどこで

 

足を引っ張られるか分かりません。

 

皆さんも気を付けてください。』

 

 

 裁判官というのはマスコミの顔色をうかがい、

 

仲良くしなければならないものなのか…。

 

それでは何にも染まらないという

 

”黒い法衣”が冗談のように見えてくる。

 

そのようなマスコミの顔色をうかがうような

 

裁判官に人を裁いてもらいたくない。

 

 そして最後に取り上げたいのがこの箇所。

 

 

『前科を犯罪事実の認定に使ってよいかに

 

ついては,原則的には駄目ですよと。

 

つまり悪性格の立証,同種 の前科があるから

 

また犯罪をやったのだろうという立証は,

 

裁判の事実認 定として合理性はない,

 

例外的に手口が極めて特殊で似ているなどの

 

場合以外は駄目ですよというのが,

 

今の通説的な考えです。』

 

『本件については,同種前科が多数あるという

 

「印象」だけで裁判員の頭が固まってしまう

 

怖さを感じたわけです。

 

幾ら裁判官が刑事裁判の事実認定というのは

 

こういうものですと言ってみ たところで,

 

一度頭が固まってしまえば,それはもう

 

変えようがないので はないかと。』

 

 

 俺のケースでは、裁判員裁判や控訴審で

 

検察は根拠のない悪性格の指摘だけに

 

とどまらず、十代の頃の”前歴”やその時の

 

調書まで引っ張り出してきて、

 

「だから今回もやったんだ!」

 

と主張してきた。

 

そういった経験から俺は思う。

 

検察にこそ、河合元裁判官が語った言葉を

 

意識させるべきなのではないか。

 

河合健司…一体どの口がそれを言っているんだ?

 

Easier said than done.

 

 

 追伸

 

 その河合元裁判官自身が”印象”で

 

頭が凝り固まっていたと俺は思う。

 

でなければ、俺が”経験則”から共犯者達が

 

金属バットを持って集まっていたことを

 

予見していたなどという矛盾だらけの

 

おかしな認定はしなかったはずだ。

 

なぜなら、もし俺が事前に何かそういった

 

きな臭いことを感じ取っていたのなら、

 

断りを入れて帰らなければ

 

いけなくなるような場に、

 

わざわざ立ち寄らなかっただろう。

 

見立の同期の人間でさえ、見立に断りを

 

入れづらい雰囲気だったと主張している。

 

しかも、もし俺が河合元裁判官の言う

 

経験則から何か予見していたというので

 

あれば、配車サービスを利用して

 

自宅までタクシーを呼び、現場付近まで

 

向かうようなことはしなかっただろう。

 

すぐに足がついてしまうのだから。

 

それが本当に経験則というやつだ。

 

残念ながら河合元裁判官は

 

経験則というものを履き違えている。