館山市議会議員「石井としひろ」のブログ

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デフレ時代の現職多選。インフレ時代の現職落選。インフレ時代は高齢候補も厳しい

近年までは首長選での現職の再選確率は約80%と言われていました。要は、たいてい負けない。高齢多選も不利になりませんでした。現職に挑むのは無謀であり、無投票が続いて、引退のタイミングで、新人候補が乱立することがあるあるパターンでした。そこで現職の後継かつ自公推薦、業界団体丸抱えの候補が勝つというのもテンプレートでした。要は、選挙前に選挙は終わっていました。変化は起きません。

しかし、直近では半分くらいが負けています。誰が勝つかも読みづらくなっています。組織票や挨拶回りだけでなく、若い候補や女性など不動票を狙える候補であるかも重要になっています。高齢は不利な要素になりました。

何が変わったのかというと、デフレ社会からインフレ社会への転換があると思います。デフレ社会では、人々は変化を嫌います。10年単位では没落してしまう、ぬるま湯なんですが、当面は困りません。むしろ物価が下がって、高齢者の生活は楽になります。長期的には、実質賃金低下で若者が地方を去っていくのは悲しいですが、次の任期の4年間は特に困ることは想定されません。そんな状況だと、顔見知りの現職で何か問題があるのか、このままでいいじゃんと再選が続きます。

しかし、インフレ社会になると、物価高で生活が苦しくなります。役所も財政が厳しくなり、緊縮財政になってしまい、新しいことをしないだけでなく、使っていた公共施設が閉鎖され、使用料手数料も上がります。そうなると、「現職は何もしない。変わって欲しい。インフレ時代の変化に対応できる柔軟性のある若者がいい。新しい風を」という気持ちになるのでしょう。

インフレ不況(実質賃金が物価上昇に追いつかない)の現代と同様に、インフレ好況(物価上昇より実質賃金の上昇が大きい)の昭和時代においても、現職の多選はそんなに続いていません。インフレ社会では、変化が求められ、新たな挑戦者が出てきます。ところがデフレ社会になって、4期から6期の多選が当たり前になりました。

現在では既に現職安泰のデフレ時代は終わったということです。これからは現職も挑戦者の気持ちで頑張らないと厳しいと思います。

幕張での市町村アカデミーの議員研修会。1日目は農業企業と自治体経営の共同化

千葉県の幕張にある市町村アカデミーの議員研修会に参加しています。20日と21日です。全国から市町村議員が来ていますが、いつも意外と千葉県の議員が少ないと感じています。もっとも、毎回定員超えの人数になるので、申し込んでも参加できるとは限りません。なお、館山市議会からは私を含む3名が参加しています。




農業については、千葉県香取市を本拠とする「和郷」という会社の幅広い活動の紹介がありました。さながら商社ように、植物工場から海外展開まで行っています。

和郷の社長は、若い頃にドイツの農園を見たところ、生産・加工・販売・さらには別事業への拡大など、商社のような幅広い事業展開をしているのを見て、こういうことを日本でもやりたいと感銘を受けて、実際にやってしまったわけです。

なんで、このようなビッグな農業企業ができるのかと考えたのですが、成田や香取などのエリアは、農業環境が良く、農地も広く、成田空港があるからだと考えました。館山市だとこういう農業企業は生まれないと思いますが、この類いの大手と連携して、地元で色々な事業をするのはアリだと思います。

次に自治体経営の講演がありました。人口減少で効率化は必須であり、さらなる広域連携が必要になります。例えば、行政不服審査会など、定型かつそんなに利用頻度の多くない会議体は、隣の市と共同で設置するのも手です。また、同じような計画を作るのであれば、合同のものを作った方がいいです。現に館山市と南房総市では、合同の公共交通計画を作っています。

あと、自治体は国から、あの計画を作れ、この計画を作れとバラバラに言われて2本作ってしまうものですが、関連があれば、2本でなく、1本の整合制のある計画にした方が望ましいとのことでした。館山市でも総合計画と男女共同参画計画を一本化した事例があります。

地方の首長選挙の「脱政党化」と「住民対話」の重要性。住民自治の時代へ

東京都練馬区の区長選と、東京都清瀬市の市長選挙の結果が波紋を呼んでいます。いずれも盤石と言われた大政党の相乗り候補や現職が負けています。





全国でその他いくつかの首長選でも同様の結果が出ました。これらの現象から私は2つの傾向を見ています。


②地方の首長選挙では、政党ラベルが関係なくなってきている。

そもそも地方の首長選では、政党公認で出ずに、99%は「無所属」で立候補しています。昔から本質的に政党選挙ではないのです。

政党は公認ではなく、「推薦」止まりでした。そして、候補者陣営は、政党ラベルがプラスになる時は政党色を全面に出し、逆の場合には完全無所属を強調してきました。直近の傾向は、政党ラベルは無意味化していると感じています。

ただし、逆風とも感じていません。なぜなら、共産党ラベルは首長選では不利ですが、清瀬市長選挙では、その影響は選挙結果に出ずに、当選したからです。しかも、共産党は国政選挙で連敗していたのに、悪影響は出ませんでした。政党やイデオロギーは地方の首長選では関係なくなってきているのです。

しかし、地方でも議員選挙は違います。議会はチーム戦なので、政党というグループに属していた方が有利です。


②政策の是非よりも、意思決定のプロセスが密室だと批判され、住民との対話型が好まれてきた。

清瀬市では行財政改革における図書館削減が批判されました。一方、練馬区では美術館建て替えが、無駄遣いと批判されています。教育・文化施設で賛否が分かれているので、これは「結論」というより「プロセス」の問題だと思います。

どれだけ住民対話を重ねて、どれだけ説明してきたかの違いでしょう。要するに、市民理解の話です。全国各地の首長選で、「市民の声が届く政治に」が選挙戦のスローガンで多用されているので、見ての通りです。

このような地方の首長選における「脱政党化・脱イデオロギー化」と「住民対話型のニーズ」という動きを、私は好意的に見ています。なぜなら、それが『住民自治』というものだからです。

南房総市長と市議の同日選挙。旧町村の縦割りに一定の合理性がある南房総市

南房総市長選挙と市議会議員選挙の結果が出ました。

私の地元館山市の隣の市ではありますが、お疲れ様でした。選挙に立候補すること自体がハイリスクであり、膨大な労力を費やしますが、候補者がいてこその民主制であり、単なる評論家であるだけでなく、プレイヤーとして選挙に挑むことそのものが尊いと思います。

市長選では、私も応援した吉田としかず候補は惜敗でした。残念ですが、やることはやったので仕方ないと思います。個々の選挙戦略では、こうすれば良かったかと検証されることはあるでしょうが、時間と労力が限られるなかでの選択であり、結果論だと思います。

今回の結果はシンプルに、当選された渡辺秀和氏が、優れた候補者だったからという評価でいいと思います。ミニ集会をコツコツ開催されていて、その場での渡辺氏の受け答えが良かったという評判は私も耳にしていました。

また、青木けんじ候補も、1人で自転車で回って、ポスティングをされていたという話も度々、聞きました。選挙対策の活動は一人で活動すると、凄まじく疲れて、挫折しがちなのですが、最後まで戦い抜いたことに敬意を持っています。市長選はチーム戦の要素が強いので票を伸ばすのは難しかったでしょうが、何かしら次につながるものと思います。

市議選ですが、3人オーバーのハードな選挙でした。南房総市は館山市の2倍以上広く、人工密度が低く、一軒一軒の家が離れています。合併して20年が経過し、縦割りが残っているようにも見えますが、地域差があるので旧7町村のコミュニティーを維持しないで、全市を一律とはなかなかいきません。市議会議員も地域密着のニーズが、市街地も多い館山市より強いと感じました。

そういう地域性だと、親戚の多さと地区で推していることが当選の要因になります。ただ、新人の当選者4名は上位当選であり、現職の多くは票を減らしているので、変化を求める民意も強くなってきています。つまり、保守性と新規性の両方のバランス感覚が大事ということでしょう。

全国どこでもそうなのですが、議員選挙に運の要素は少ないです。新人でも、当選セオリーに沿って、やることをやれば8割は当選できます。一方、1人しか当選しない市長選は運の要素が大きく、本人の資質は2割程度しかないというのが私の見立てです。残りの8割は構図と運、すなわち環境です。

不特定多数への匿名発信、いわゆる「怪文書」は1ミリも信じてはならない。

先週(4月4日 土曜)に行われたGRサミットのなかで、トークセッションの1つにあった「アテンションデモクラシーの可能性。炎上・分断から信頼・共感へ」の話と、南房総市長選の怪文書の話をします。時と場所と登場人物は全く異なりますが、テーマとしては共通点があるので。





山尾しおり氏が国会議員時代に、かれこれ10年くらい前ですが、ネットの匿名投稿の「保育園落ちた日本死ね」を引用して、国会質問をしたことがありました。趣旨は、保育園不足の解消のためです。

保育園不足の解消という目的は理解できるが、国会で「日本死ね」と引用する必要があるのか、と批判が起き大炎上になりました。ただ、結果として、保育園が充実される「きっかけ」になりました。ただ、反発もあり、脚を引っ張った面もあります。功罪がありました。

その後、保育園拡充運動は静かに進められましたが、時間はかかりました。炎上のようなエネルギーというか、推進力はないのです。ただ、敵を作らないので、着実には進んでいきます。

・正論
・短く(長々では伝わらない)
・わかりやすく
・興味を引くように面白く

という効果的な話し方をして、少しミスると、炎上して爆発的に拡散します。ミスがあるのがポイントなのです。良い模範的に話だと、拡散には限界があるのです。賛否両論で喧嘩になって大騒ぎにならないので。

「保育園落ちた日本死ね」を引用したのは、私は少しミスだと思います。なぜなら、匿名の無責任な言動だからです。公の場で発言するのであれば、匿名の引用ではなく、自分の言葉で言うか、言わないかのどちらかだと思います。

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さて、南房総市長選では「怪文書」がまかれ、選挙に影響を与えています。複数まかれ、複数の候補者が被害を受けているようですが、そのうちの1通はかなりの反響が出てしまっています。

怪文書の定義ですが、差出人不明の「匿名」の文書で、数百、数千という不特定多数にまかれるものです。郵送と夜間のポスティングが手段として使われます。内容が虚偽で、アシがつくと、稀に逮捕者も出ます。

この怪文書ですが、大きな選挙の度に登場するので、一定の効果があるのです。世の中は、「火のないところに煙は立たない」と受け止める人もいるのです。

しかしながら、「火があるなら」、そして内輪話や、個別の通報ではなく、不特定多数に公表したいなら、「実名」ですべきことです。

刑法の名誉毀損罪は、「不特定多数に虚偽の情報を伝える」と成立します。にも関わらず、不特定多数に匿名で発信する自由はあるのでしょうか?私はないと思います。

現状だと怪文書はやった者勝ちが多いです。これではテロをやったもの勝ちと同じ構造だと思います。

やはり、怪文書は「全く相手にせずに、1ミリも信用しない」ことが大事だと思います。もし、それが本当だと考えるなら、自分で情報の裏どりして、自分の名前で、法的リスクを取り、責任を持って発言すればいいのです。

私は実名でたくさんの文書を書いており、全て訴訟リスクを負っているわけです。そして言論人はそれが当然です。ですので、匿名による無責任な不特定多数への発信を認めてはいけないと思います。

館山幼稚園の入園式。保育園はともかく、幼稚園児数の減少は速い

館山幼稚園の入園式に出席してきました。例年通り、館山小学校の入学式の翌日で、小学校長と幼稚園長は兼務です。公立小学校と公立幼稚園は連続性のある教育機関という位置付けです。

さて、今年の入園児童は10名でした。かなり少なくなってきました。少子化もありますが、夕方の「預かり保育」がないので、その必要のある幼児は、近くの保育園あるいは、別の地域の保育園に行っています。ですから、人口推計的には小学校の入学児童数を見ることが、その地域の将来予測になります。

ただ、預かり保育のない幼稚園の幼児数は、あっという間に減っていく傾向があります。ですから、5年後はどうなっているのか読みづらいものです。(近くに私立保育園もあるので、保育のニーズは市全体で見れば満たされている)

ところで、今日の入園式はアットホームな感じで、緊張せずによかったと思います。人数が多かった頃は、ピリピリして泣き出す子どももいて、1人が泣き出すと連られて他の子も泣き出し、保護者も先生も大変だったと思います。アットホーム感が出るのが、少人数教育の良さです。



〇〇建設計画反対を市長選の公約にできるのはいつまでか? 建設予算の議会議決前なら。設計段階まで

市長選の公約で、「〇〇建設計画に反対」というものがあり、当選後に止められないで、公約違反になる場合がよくあります。

どこまでが反対できるタイミングかというと、「建設予算」が議会での議決がなされる前です。設計段階であれば、反対を公約で当選した新市長が止められます。

今回の清瀬市における解体の議決は済んでいて、解体の執行中でした。
議会で建設あるいは解体の議決が済めば、もう止まらないと考えて、選挙公約にすべきではありません。

前市長の図書館の統廃合計画は、民意を得られなかった失政だと思いますが、解体の議会議決が済んでいるものを再開と公約にするのは不誠実です。設計の議決なら計画中止は可能ですが、建設・解体の議決の後は、公約にすべきではありません。

建設計画に反対して当選したが止まらないパターンの多くは、設計段階を過ぎて、建設予算の議決が済んでいるものです。

南房総市長選挙と市議選。どちらも激戦

南房総市長選挙ですが、吉田としかず候補の出陣式に出席してきました。私は、彼が4年前に初出馬した市議選の出陣式にも出席していますし、私の3年前の選挙は彼も手伝いに来てくれたので、付き合いが続いているわけです。






とはいえ、4年前は市議の新人だったわけで、4年間でこれだけ成長して、幅広い支持を得て、大激戦の市長選に挑むことになるとは思いもしませんでした。政治家としてはモノをはっきり言うタイプなので、カドが立って、しばらく少数派のままかなと思っていたのですが、反対側の意見の方々と話のできるバランス感覚も備えています。

政策に掲げている「富山国保病院の存続」「プール建設計画の撤回(既存のプールが使える)」「白浜小の統合は一旦白紙・再度話し合い」など争点に踏み込む主張は、彼らしい一貫性があります。





市議選は定数18に21人が立候補する激戦(3人落ちる)になりました。こちらも、3年前の私の選挙で出陣式に来てくれた林よしはる議員の事務所に行ってきました。彼は議会で毎回、一般質問をするタイプでして、情報発信をYouTube動画で続けています。




また、ライオンズクラブで一緒に活動している神作紀史議員の事務所も行ってきました。



市長候補も市議候補も、色々とつながりはあるわけですが、日常的に付き合いのある候補のところに顔を出した感じです。私も議員は16年目に入りますが、長くやっていると他自治体の議員との交流が増えていきます。

第7回日本GRサミット。官民連携の勉強会と意見交換

東京の渋谷にまで行きまして、「第7回日本GRサミット」を観てきました。官民連携政策の勉強会と意見交換会です。




議員は官民連携政策が苦手な傾向があり、自分もそうなので勉強のためと、「幹を強くする千の葉の会」でお世話になっている熊谷知事の登壇があるのと、そもそも主催のGR協会の代表は、千の葉の会顧問の吉田雄人氏なので、応援の意味も込めて、行ってきた次第です。








民間・行政・議員などが参加対象ですが、民間企業の参加が多い印象があります。

民間の立場だと、「行政はもっと民間を利用すれば、政治課題を解決できる。そして、自分たちにとってはビジネスチャンスであり、お互いにメリットがあるのに」ともどかしく思うようです。

行政の職員からすると、「官民連携の重要性はわかるが、公平性をどう担保するのか。癒着と思われたら困るから、気が引ける」というのが正直なところのようです。

公平性を担保するために、これまで行政は、「今回はあの団体に頼んだから、次回はあの団体」というように、任せる業務量の平等性で、癒着批判をかわしてきました。

これからの官民連携は、「こういう理由で、この企業に頼んだ」という情報公開と説明責任によって、公平性を証明すべきと思います。

「こういう課題の解決方法の提案をホームページで求めたところ、〇〇企業から提案があり、詳細を協議したところ、期待できる内容なので、依頼した。内容は具体的にこうであり、3年契約とした」という感じです。




あと、デジタル化の目的ですが、利便性の向上の先にある、「効率化によってできた時間を、市民との相談対応と、解決検討にあてたい」という方向性はなるほどと思いました。デジタル化というと、苦手な人切り捨てのイメージが抜けませんが、これなら「誰一人取り残さない」という理念と共存できます。



共同親権の国会院内集会に参加してきました。今日、改正家族法が施行

今日は家族法の改正民法が施行されたことから、婚姻外の共同親権が始まることの記念イベントが国会の議員会館で行われたので、出席してきました。共同親権導入の運動に長年関わってきた人が多いです。私も2018年から関わっていますが、この中では平均的な期間ではないでしょうか。長かった…




議員の参加は、

柴山昌彦議員(衆議院)
池下卓議員(衆議院)※所用にて撮影前に退出
嘉田由紀子議員(参議院)
梅村みずほ議員(参議院)

中村はるき議員(大阪府大東市)
荒井いさお議員(札幌市)
私、石井敏宏議員(千葉県館山市)
佐藤美樹議員(世田谷区)※所用にて撮影前に退出

となっています。

共同親権は離婚後が話題になりがちですが、未婚・事実婚も対象でして、今日は事実婚の母親が子どもと一緒に参加され、単独親権を早速、今日、父親との共同親権に変えたという報告がありました。今日いきなり変えたのではなく、事前に準備して、今日、手続きが完了し、婚姻外の共同親権が成立したことになります。

ところで、離婚届も参考までに会場では配布されました。親権者の欄に「父母双方」という共同親権も選択肢として加わりました。なお、親権者は決まっていなくとも、決める協議のための裁判手続きに入っていれば、親権者が未定でも離婚ができます。離婚自体も迅速にできる改正ということです。

ようやく海外の制度、すなわち子どもの権利条約に基づいた親子制度に近づいたわけです。なお、海外のスタンダードな制度は、婚姻はパートナーとの関係であり、親子関係と別物になっています。すなわち、婚姻の有無は関係なく、実父母と子の関係は固定されています。

日本のように、「前の親」「新しい親」という概念は海外では存在しません。「親権」なんていう、子どもを物のように扱う法律概念もありません。実父母と子は、自然権として関係が保障されています。この海外のスタンダードな制度こそが、子どもの権利条約通りであり、日本は条約違反として、度々、国連から改善勧告を受けてきました。

子どもの権利条約の7条、9条、18条、21条を読めば明解だと思うのですが、なんでこんな簡単なことがわからない大人が多いのか不思議です。特に、9条の親子不分離の原則は重要です。この9条を守らないことにより、昨日の児相問題も同様ですが、家族関係がメチャクチャになっていて、子どもの幸福度が国際的にも低いのです。

私は、共同親権制度を、海外と同様の制度になるまでのつなぎと考えています。あるいは、共同親権の原則性を徹底して、例外を少なくすれば、結果的に海外とほぼ同じ仕組みになります。

ということで、婚姻外で、単独親権か共同親権か選択するなら、一般論としてですが、強く共同親権をお勧めします。海外の方が、子どもが幸福そうですし、男女とも再婚が盛んで、大人も幸福そうに見えます。海外はステップファミリーが日本より圧倒的に多いのは、このように親子関係と男女関係を混同しない仕組みにしているからです。
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