2019年3月19日:クイーンとわたし<音楽ネタ> | たっくう投げ釣りと日々

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大好きな投げ釣りと、日々の忘備録です。
最近物忘れが激しいのであります。

 

ずいぶん前に書きかけて放置していた音楽ネタであります。

 

釣りブログに載せるのが適当かどうかわかりませんが、もう完全に自己満足の極みでありますので、そこは勘弁してくださいな。

 

昨年来大ヒットしたフレディ・マーキュリーの伝記映画、「ボヘミアンラプソディ」が良い意味できっかけになりました。

 

何の気なしに色々調べているうちに、「あんときはこうだったよなー」とか「げー!!そうだったのか。。勘違いしてた。。。」なんてこともあって、書かずにいられなくなってしまったのです。

 

まずは下の表をご覧ください。

 

 

なんのこっちゃですが、これ、僕が中学高校在籍時の西暦に、クイーンの発表アルバムをプロットしたものです。

 

これをみて判るのは、「キラークイーン」や「ボヘミアンラプソディ」といった曲は僕が小学生の頃に発表された曲だということですね。

 

そう言えばクラスメイトの持っていたピアノの弾き語りの本に、アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」やカーペンターズの「青春の輝き」と一緒に「キラークイーン」が載ってたのを憶えています。ピアノの弾き語りといえば、言えんこともないですが。。。。今でもむちゃくちゃな選曲だと思います。

 

彼らの作品で、アルバムとして楽曲に統一性を持たせていたのは「News of the World」が最後じゃないでしょうか。

それ以降のアルバムは、メンバーが持ち寄った作品を寄せ鍋的に並べた作品集、といった方向に変わっていて、何となくバンド全体に大御所感が漂ってきていました。

 

また、日本でのアイドル的な人気になんとなく陰りがでてきたのも、丁度この中二の「JAZZ」を発表した後くらいで、「アルバムに統一感がない」とか「Fat Bottomed Girlsなんて女性蔑視だ」とか「ドント・ストップミー・ナウでブライアン・メイがあまりギターを弾いていないのはフレディと確執があるからだ」などと、クイーンをディスる論調が増えてきたのもこの頃です。

 

今では信じられないかもしれませんが、日本では元々彼ら、アイドル人気が先行していて、「まともなロックファンはクイーンなんか聴かない」という風潮もあったんです。ミュージックライフを始めとする「アイドル雑誌」の功罪で、曲は大ヒットしているのに、何か軽んじられている、、、クイーンとはそんなバンドでした。

 

奇しくも77年にはセックスピストルズがデビューして、その後はもう、箸にも棒にも掛からないようなのも含めて、続々とパンク/ニューウェーブと呼ばれるミュージシャンが登場してきた頃のお話です。

 

相変わらずヒット曲は連発しているのに、多くの70年代バンドと同じく、「過去の人」扱いが酷かったです。当時フレディはまだ30代前半の若さですから、本当に気の毒だったと思います。

 

フレディがバイ・セクシャルだという「噂」が出たのも丁度「愛という名の欲望」が発表されたころで、僕は高校受験のために人生で一番勉強していた時期です。クイーンのことはすっかり忘れてしまっていました。

 


 

1980年前後は僕の記憶もかなり時系列があいまいです。

 

僕が高校生になった'80年の「プレイ・ザ・ゲーム」で彼らのアイドル人気はとうとう地に落ちました。

 

同曲のオフィシャルビデオをご覧になった方も多いと思いますが、スターウォーズのオープニングのような宇宙?からマイクが飛来し、それを掴んだフレディが「Open up your mind~」と歌いだします。

 

が。。。。。その姿はかつてのフレディではありませんでした。口髭をたくわえた「おっさん」に変貌していたのです。もう女性ファンはドン引きもいいところで、日本でのクイーン人気は瞬間冷却されてしまいました。

 

<'73年頃>

 

<'80年頃>

 

当時欧米では彼のファッションの変化を、ゲイであることを隠さなくなった表れ、と捉えたみたいですが、未だインターネットもなかった時代、日本の、大阪の、そのまた郊外の、いたいけな少年少女には、それが単なる「おっさん化」に見えたのですね。

 

上のセットリストは彼らが「CONCERTS FOR THE PEOPLE OF KAMPUCHEA」に出演したときのもので、日本でも「カンボジア難民救済コンサート」の邦題で、レコードが発売されたり、NHKでダイジェストが放映されたりしました。ライブエイドの先駆けとなるようなチャリティーです。

この放送を観た友人の姉ちゃんは狂喜していましたね。

 

なにしろ「ヒゲ」がない!プレイ・ザ・ゲームの「あれ」は一時の気の迷いだったのね!ってなもんです。

 

ただこれには情報原始時代ならではの勘違いがあって、実はこの映像、1979年のものなのです。日本で放映されたのはその2年後の1981年で、当のクイーンは当時、活動を休止していました。

 

高二の頃に中三の頃のクイーンの映像を観て、フレディが元に戻ったって喜んでたわけですから、何とものんびりした時代だったんです。

 

実際この映像は、当時彼らのベストパフォーマンスだったんじゃないでしょうか。御多分に漏れず彼らを色眼鏡で見ていた僕のチンケな先入観を吹き飛ばす、素晴らしいライブでした。

 


 

それから一年ほど後、僕はクラスの、斜め後ろの席のヤツに声を掛けられます。

 

「クイーンのチケット、二枚あるんやけど誰も一緒に行ってくれへんねん」

 

返す言葉で「俺が行く」と言ってました。場所は西宮球場、今は西宮ガーデンズのあるところです。僕にとって初のスタジアムコンサート体験は入場料5,000円、ステージから40列目くらいのアリーナ席でした。

 

要するに当時のクイーンは「ヒゲ」や「両刀使いのウワサ」がきっかけで人気が急落していて、簡単にチケットが取れたんです。だから僕みたいなニワカファンでもあっさりアリーナでライブを観れたわけです。

 

上のセットリストは、正にその当日のものです。

 

オープニングを飾った「フラッシュ」はメチャクチャかっこよかった!

 

スタジオ音源で聞くとなんて事ない曲で、ビデオクリップももうちょっとマジメに作ったら?って感じでしたが、ビックリするくらいライブ映えするんですね。ステージが暗転してイントロがダンダンダンダン。。。”Flash!! Ohohhh!!”でステージのライトがストロボの様に点滅。。。何となく雰囲気わかるでしょ?(^_^)

 

ただ白状すると、知っている曲は半分以下でした。なにせ、その一年程前に、テレビの放送でようやく「見直した」程度のライトなファンです。

最新アルバムの「Hot Space」は一回も聞いたことがない上に、大好きなアルバム「Queen」からの曲はゼロ、「Jazz」からは一曲だけ、特にライブの定番曲とされていた「Keep Yourself Alive」がセットから外れていたのはガッカリしました。

 

今思うと、「カンボジア」のクイーンを僕は求めていたんですね。ところが目前に登場した彼らはダンスミュージックのような曲や、最新シングルの”らしくない”アンダープレッシャーなんて曲ばかり多く演奏して、アンコールはなんとロックンロールメドレー。。。

 

今思えば、彼らはもう世間に浸透した「Queen」のイメージに飽き飽きしていたのかな、と思ったりします。

 

でも僕みたいな”浅い”ファンはそれを許さない。

いつまでも同じクイーンを観たかったんです。

 

でも毎日、来る日も来る日もおんなじ曲ばかり演っとれんのは、今となってはよくわかります。

 

自分の仕事ですらそうですもんね。