第2921段 少子高齢化の施策の果ては
昔、男ありけり。今も男あり。
その男、令和6年6月2日
刈谷市は東刈谷市民センターにて毎月開催の
千草会短歌会の月例歌会に
まう一首、次の歌
国のため 女人よ更に 四・五人の
子を産めといふ 法案成立
を事前に提出し臨みけり。
歌の心は日本の少子高齢化の進めばやがて
江戸時代と同じ約三千万人となるとの予測があり
この予測に危機感を覚へたる近き将来の政権の
解決策と打ち出したる政策を予測しての作なり。
数年後には産科医療が急激に進歩し
女性であれば50代でも60代でも70代でも
出産が可能となる事を予見しての作なり。
而して、その後は斯かる事態に国民のほとんどの女性より
批難の声が挙がり国を揺るがす明治以降初の【女性一揆】となり
その政権は崩壊となり日本初の革命政権の樹立へとなるなり。
されど、歌会での評価はその深慮遠謀を理解されず
得点には繋がらざれども訴へは理解をいただきければ
満ち足りたる心境にて帰路に就きたり。