第2906段 歌の表現で自分を何と称するか
昔、男あり。今も男あり。
その男、令和6年5月18日
刈谷市文化協会所属の短歌部会の
月例歌会に次の歌を
予の歌が 字余り字足らず そんなこと
どうでもいいと 思ふこの頃
事前に提出し臨みけり。
歌の心はその男の自称の「予」にて
歌の世界にては古くは、自分を「我」「吾」がほとんどにて
その後、「わが輩」「俺」が散見され
女流歌人では「わたし」「わたくし」が多く
現代にては成人の歌人にても「僕」が見られ
それらは精神の幼児性を現すとぞ覚えけり。
ゆくゆくはその男、自称を「朕」を用ゐて
詠む事を考へけり。
而して、歌会での評価は珍しく
過半数以上の支持を頂き二席の栄誉となりけり。
いとめでたし。めでたし。
聡明なる読者子におかれましては
自分を何と称するか?
この問ひをもち今日のブログの筆を擱くなり。