第2813段 徳川の家臣の石川数正の寝返りの理由を
昔、男ありけり。今も男あり。
その男、令和6年3月5日付けの
立春知立短歌会の季刊発行の歌誌『立春』284号に
【徳川家康の所縁の地への吟行】と題し連作5首を発表し
評価を世に問ひけり。
その2首目の作は
家康の 股肱の臣の 数正の
出奔の本意を 探らむと来ぬ
石川数正は徳川家康の幼少期から仕へたる譜代の家臣にして
小牧長久手の豊臣秀吉との合戦の後
敵方である豊臣秀吉に寝返り、その後は
信濃の国の松本を領地として与へられ
後の国宝の松本城を築きたる戦国の武将にして大名なり。
その寝返りの理由は多くの説があれども
真相は不明のままにして、手掛かりを得むとの
願ひより生まれたる作なり。