第2802段 連作『隠岐の島にて』其の拾肆 隠岐の牛突き
昔、男ありけり。今も男あり。
その男、今を去る令和4年10月30日
島根県隠岐諸島の一つの中ノ島の海士町での
第23回 隠岐後鳥羽院和歌大賞の表彰式に臨むため
隠岐諸島へと行き数日間
滞在したる折の連作を
令和6年1月14日発行の
その男の所属する「桃の会」の機関紙である
桃の会たよりの55号に
『隠岐の島にて』と題し連作18首を発表し
評価を世に問ひけり。
その拾肆首目の作は
後鳥羽院の 寂しき日々を 慰めて
牛突き今も み霊慰む
闘牛は日本の各地、越の国の山古志村
四国は愛媛の宇和島などが有名であるが
此処、隠岐にては闘牛を「牛突き」と呼び
そのルーツはまさに後鳥羽院のために
島人が始めたる遊興なり。
而して、令和の現代までも続くのは
いかに後鳥羽院が慕はれゐるかを示す証とぞ覚えける。