第2795段 連作『隠岐の島にて』其の漆 後鳥羽院の慰霊は
昔、男ありけり。今も男あり。
その男、今を去る令和4年10月30日
島根県隠岐諸島の一つの中ノ島の海士町での
第23回 隠岐後鳥羽院和歌大賞の表彰式に臨むため
隠岐諸島へと行き数日間
滞在したる折の連作を
令和6年1月14日発行の
その男の所属する「桃の会」の機関紙である
桃の会たよりの55号に
『隠岐の島にて』と題し連作18首を発表し
評価を世に問ひけり。
その漆首目の作は
西行に われはあらねば 烏滸がまし
隠岐の島にて 院の慰霊は
歌の心はその男の尊敬してやまぬ西行法師の
日本三大怨霊と言はれる讃岐へ中流の崇徳院への
鎮魂慰霊の旅が心にありて
800年前の承久の乱により鎌倉北条氏との戦ひに敗れ
遠島の身となり無念のうちに身罷りたる後鳥羽院を
思ひての作なり。