第2788段 自分の事を何と称するか
昔、男ありけり。今も男あり。
その男、令和6年1月下旬の或る日
歌を詠みつつ自分を何と表現するか?
を、思ひ歌を
いつよりか 自分の事を 予と言ひて
歌を詠みをり 「吾」「我」は卒業
歌の世界は昔より、「吾」「我」「われ」ばほとんどにて
偶には「私」「わたし」「わたくし」があり
現代短歌の世界にては「僕」が散見され
その男のかっての同級生は自分を「麻呂」と呼び
日本の軍隊にては統一的に「自分」であり
さる高貴なる身分にある人は「朕」と言ひ
一部には「わが輩」「吾輩」「吾が輩」「我が輩」もあり
芸能界のかまやつひろしは「ムッシュ」と名乗り
薩摩の国にては「おいどん」があり
若年の男子は「俺」が普通に使はれ
昭和期の少年なれば「おいら」にて
時代劇の田舎娘は「おら」と言ひ
江戸期の遊里にては「わちき」
関西の商人にては「わて」があり
僧侶なれば「拙僧」が普通であり
若輩の物書きならば「小生」
侍なれば「拙者」が多く
プライド高き浪人なれば「身共」となり
なんと多様なる自己表現かと思ひつつ
「余」は余りもののやうにて用ゐず
「予」に落ち着きたるなり。
聡明なる読者子は自分の事を何と表現?