第2664段 連作『縄文を』其の漆 縄文への望郷
昔、男ありけり。今も男あり。
その男、令和5年9月7日付けの
立春知立短歌会の季刊発行の歌誌『立春』282号に
【縄文を】と題し連作15首を発表し
評価を世に問ひけり。
その7首目の作は
縄文の 血がわが裡に 流れゐて
ふるさとを恋ひ 岬へと来ぬ
中国の書物である『楚辞』の中に「狐死首丘」がある
その訓は「狐死して、丘に首す」と読み
その意は「狐は死に臨み、なほ自分の生まれた巣のあった
丘の方に首を向ける」といふ狐でも望郷の念を抱くのであれば
人間であればその故郷忘れ難き念は強い と言ふのであり
この作はその男の「狐死首丘」である。
だはその男の縄文の故郷とは何処かと言へば
沖縄人のいふニライカナイであり
古代人のいふ黄泉の国であり
中国人のいふ蓬莱山なり。