第2432段 俳人の松尾芭蕉の詠みたる和歌は
昔、男ありけり。今も男あり。
その男、令和5年1月12日の
立春知立短歌会の毎月開催の
月例歌会に次の歌
いにしへの 芭蕉翁の 詠みし和歌
潔きかな 一首だに遺さず
を事前に提出し臨みけり。
芭蕉翁とは江戸期の俳聖とも称される松尾芭蕉。
彼は平安期の歌僧である能因法師、西行法師の足跡を
辿りみちのくを旅し名著「奥の細道」を残したのであるが
若き日には二人の歌僧の作品に触れ
想像するに多くの歌を詠みたることと覚えけり。
而して、後年 俳人としての名声が高まるにつれ
若書きの和歌作品の多くを〈遺すべきにあらず〉と
すべての作品を処分せしとぞ想像すれば
その作品とは如何なる内容なりや?
今となっては知る手立てはなけれども
生地の伊賀上野のどこぞやの蔵の奥から
数百年ぶりに発見される事もあるやも。
如何なる内容かは歴史的ミステリーなり。
而して、歌会での評価は難解なる内容との
歌評を頂き得点にはならず無念なり。
されども、内容を説明後は賛同の声を多くより
頂き晴れ晴れと歌会場を罷り出でけり。