第1661段 豊川の平和公園にて
昔、男ありけり。今も男あり。
その男、令和2年10月の秋晴れの或る日
三河の国は豊川市の平和公園へと行き
歌を
豊川の 海軍工廠の 跡地にて
母を偲びぬ 働きゐたり
と詠み 母親を懐かしみけり。
豊川の海軍工廠は昭和10年代に開所し東洋一と
謳はれ最盛期には約5万人が働き
昭和20年8月7日の空襲により
壊滅的被害を受け犠牲者は2500名に登りけり。
その男の母親は貴重なる短歌のノートを失ひしかど
一命をとりとめ、幾たびか思ひ出話を聞きたるを
懐かしみ佇み涙を流しけり。