第千三百八十八段 日本の将来を危ぶむ歌
昔、男ありけり。今も男あり。
その男、令和元年十二月二十一日
刈谷市文化協会所属の短歌部会の
月例歌会に次の歌を
電車内 読書にいそしむ 若者の
めつきり減りて 日本危ふし
事前に提出し臨みけり。
歌の心はその男の最近の電車内にて日常化せし
老いも若きもスマートフォン操作ばかりを
嘆きての作なり。
結句の何が《危ふし》は勿論、《日本の将来》のこと。
この事はかって昭和三十年代
テレビが普及しはじめたる頃
かの論客の大宅壮一氏がテレビの低俗なる事を嘆き
「一億総白痴化」との流行語を生み出したことに似るなり。
されどその後、宅壮一氏の予言が的中せしかは
議論の分かるるところとぞ覚ゆ。
更になぞらえて言へば「一億総スマホ操作中毒症」なり。