第五百六十四段 極悪人
昔、男ありけり。今も男あり。
昔も今も悪しき男らあり。
其の中でも、加藤智大・小泉毅・植松聖らは極悪非道の事件を起こしし人物なり。しかしながら、彼らも誕生の折には両親をはじめ周囲の者から祝福されたことであろう。亦 幼年期には大切に養育されたと想像する。しかして、いつ頃より彼らが殺人鬼に変貌を遂げたかは知る由もないが、改めて人間の性善説・性悪説を考へない訳にはいかない。
彼らを弁護するつもりは毛頭持たぬが、もし彼も社会にとって「必要なひとり」であると仮定したならば、その存在理由は考へて見る価値はある様に思ふ。亦 仮に神が存在するならば、何故、彼らをこの世へと送り出したのであろうか?単に一個人の行動として捉へるのではなく、大きな社会の歴史の流れの中で考へることが必要ではないだろうか? 問題は人間の存在理由の根幹に関ってゐる。
かかる思ひをいだけば、歌を
生れし日は 玉の男の子と 祝福され
抱かれにけむ 植松聖も
と詠み、暗澹たる思ひに沈みけり。