第五百六十三段 言霊
大阪に生野区あり。
元来は死者を葬る野の意にして、「死野」なり。
時代が進み元来の機能を失ひし頃、
或る天皇が行幸になり「死野」では縁起でもないと考へ「生野」に改めけり
といふ話 残りけり。
「葦」が「悪し」に通じることから「葦」と訓み。
「梨の実」は「無しの実」であることを嫌ひ
「有りの実」と言ひ表しけり。
料理で「蛤」では料理に虫が入ることを
避けて「浜栗」と品書きに表記。
つまり、これらのことは日本人が如何に縁起を担ぎ、験を重んじて来たかの意味なり。この考へ方の根底には勿論、古来よりの言霊の思想あり。しかして、その最たるものが和歌の歴史には流れけり。喜びの歌、悲しみ(を癒す)歌、死者を悼む歌はあれど、呪ひの歌は原則的に許されざるなり。
善し悪しと 生き死にもまた 任せつつ
われはわが歌 詠み続けけり
と詠み、言霊の思想を諾ひけり。