第百六十八段 蓬莱橋のたもと桜
昔、男ありけり。今も男あり。
その男、平成二十八年春は卯月、駿河は島田の大井川に
架かる「蓬莱橋」へ行きけり。
蓬莱橋は英国ギネス社認定の
世界一長き木造歩道橋なり。
長さは八九七・四メートル。
初代の橋は明治十二年一月十三日完成。
幾たびの増水・洪水に流されしが
その都度建て替へられしとぞいふ。
橋の命名は駿河藩主の徳川家達公の牧之原を
「ここは蓬莱山」に拠ると伝はりぬ。
その橋の袂に古き一本の桜ありけり。
名を「たもと桜」とぞいふ。
桜の季節なれば花いとおもしろく咲きたれば
その男、歌を
橋を渡り い行き戻らぬ ひと待ちて
たもと桜と なりしひとはも
と、詠み 待ちつづけ、つひに桜へと化身の女人
哀れと思ひ 去り難く桜花を仰ぎ続けけり。