第五十八段 蕎麦の刀屋
むかし、男ありけり。今も男ありけり。
その男、平成二十八年の秋の終はり、信州は上田平の
評判の蕎麦屋へ新蕎麦をたぐらむと行きけり。
その店、その店名の如く以前は
刀剣作りを生業とせり。
しかれども、泰平の世の中となり
転業を余儀なくされ
畑違ひの商ひなれど蕎麦屋を始めけり。
豪快なる盛り付けが評判を呼び賑はひけり。
行きて名物を前に、歌を
刀屋が 刀屋やめて 開きたる
蕎麦「刀屋」の 笊の大盛り
と詠み、時代小説家の池波正太郎先生が贔屓にせしと
いふに倣ひ、創業の江戸の世を偲びつつ、武士の心となりて刀を箸に持ち替へ、蕎麦としばし対峙ののち、間合ひを計り一気呵成にたぐりけり。