第三十一段 依佐美の鉄塔
むかし、男ありけり。今も男ありけり。
その男、平成二十七年のある日、刈谷市高須町にある
依佐美送信所記念館を訪ねけり。依佐美送信所にありし
八本の鉄塔は取り壊されしかど、高周波発電機等は機械遺産また、送信設備は未来技術遺産に制定されをり。
第一次世界大戦以降の情報送受信の基地にして、幾多の国の命運をも左右せし情報を送信し、戦後はアメリカ軍に接収され冷戦下 核攻撃の目標にもされしと巷間に伝はれり。
八本の鉄塔、そのままなれば愛知県初のユネスコ世界遺産に認定も夢ならず と 知りて歌を
この地より「ニイタカヤマノボレ」送信と
聞きて見上ぐる 依佐美の鉄塔
と詠み、開所から、閉所・取り壊しに至るまでの
数奇なる運命を辿りたる送信所に思ひを寄せけり。