第二十五段 縄文教の教祖
むかし、男ありけり。今も男ありけり。
その男、縄文文化にいと深く心寄せる者なり。
縄文の良きところといへば、未だ人を殺るための
道具つまり武器が発見されざることも理由なり。
また、土器・土偶の多様なる造形美に魅せられて
各地の遺跡・博物館へと行きけり。
文字文化こそ持たざれど、多様にて高き精神文化を
花開かせたりと信じたれば、自称「縄文教の教祖」を
名のりたり。しからば、歌を
吾が輩は縄文教の教祖なれ
されど信者は一人もをらず
と詠みしかど、その後も信者となれる者の
現れしとの噂を聞かざり。