第二十一段 明智光秀の生誕の城址
むかし、男ありけり。今も男ありけり。
その男、平成二十七年の秋の深まる頃、美濃は可児の
明智光秀公の生誕の地と伝はる明智城址へと行きけり。
行きて歌を
光秀が 生れて育ちし 城址の
数多の団栗 拾ふ者なし
と詠み、戦国の世を駆け抜けし悲運の武将の
一代を思ひけり。また長き期間、逆賊の汚名ありし由、
放置され来し城址を憐れと思ひけり。
因みにその近くには、かの本能寺の乱にて最後まで
主君である織田信長公を護りたる森蘭丸の居城である
金山城址があるのも奇しき因縁と思ひけり。