こんばんは!
テューバの伊関です📯
今日は新国でリゴレットの観劇
なんとなくのラストは有名だったり、女心の歌は有名だったりでふわふわっと知っていた作品でしたが、きちんと観るのは初めてになりました。
それもそのはず、新国での上演は10年ぶりだそう!
意外でした。
今回、演出で個人的にすごいガツっと来たのが前奏曲ですでに幕が開いていて、衝撃的な舞台だったこと。
リゴレットは「呪い」が作品の大きな柱のようですが、幕開けでその柱を示していました。
舞踏会で踊る女性たちが全員倒れて、
赤い照明を背負った廷臣たちがシルエットのように立っていて、
背を向けたリゴレットが高台に乗って現れる、
おぞましい、私にはむしろ少しショッキングなくらい衝撃的でした。
呪われてるし、救われないという衝撃。
涙が出ました。
舞台転換も敢えて幕を開けて舞台を暗くしてそのままやっていて、初めは作業風景見えちゃっていいのか…?と思いましたが、
作業スタッフもひとつの役で、報われないラストに向けて舞台を転換しているのが、闇の案内人のような、それもまた呪いそのもののようにも見えてきました。
登場人物の孤独や執着にかなり視点を当てた演出だったそうです。
よく知るヴェルディだなと思うような報われなさですが、
リゴレットは特に惨めで、何も救いがない。
(と、私は感じました。)
シェイクスピア原作のものだと救いはなくても、人間の深い真理に迫っていう哲学的な要素も強いようですが、
(ただ難しすぎて…😅)
ヴィクトル・ユーゴー原作のリゴレット(王は愉しむ)は、ユーゴーが原作なのかと思うと、レ・ミゼラブル、ノートルダムの鐘(せむし男)書いた人かぁという、自分なりの腑に落ち方がありました。
むごいし、みじめな描写が多いイメージ…。
ノートルダムだって最後なにも報われないもの…。
美の裏側に醜があって、それらは表裏一体のようなことを言ってた人らしいといえば、らしい。
父リゴレットの復讐(娘ジルダのためだったが)、その復讐の矢が奇しくもジルダにあたり、ジルダは自分を弄んだ男のために死んで、その弄んだ男はのうのうと遠いところで女心の歌を最後まで歌ってる。
簡単にいうと胸くそシーンも多かったですね…。
(作品としてはいい意味で)
なんだかうまくまとまらないですが(毎度)、今回の舞台演出かなり好きでした!
前衛的すぎず、伝統的すぎず。
この作品で思ったのは、呪いは人間そのものであるということ。
人を呪えば穴ふたつ。
ユーゴーの生々しい人間描写が芸術として逆に美しいものとなっていたように思います。
最近、呪術廻戦を観進めてるので呪いというところが妙にリンクしてます。個人的に(笑)
こんな胸くそ(褒め言葉)悲劇を観た帰りですが、美味しいものガッツリ食べて帰宅🥩
あ。明日私もコンサートする方だ。
豊洲シビックセンターホール、19:00開演
婦人会テューバ四重奏も出演するのでよろしくお願いします!!