高橋いさをの徒然草 -291ページ目

太った船員を見習う

地震とそのの影響で起こったさまざまな事象が原因による不安が、どんよりと社会全体を覆っていているように感じる。地震発生からすでに一週間。余震もたびたび起こる中、わたし自身も漠然とした不安の中で生きている。
そんな中、劇場に足を運ぶと演劇人たちはみな公演を継続させようと懸命に努力している。劇の内容とは関係なく、そんな姿にちょっと感動してしまう。
そして、ふと前に紹介した爆弾パニック映画「ジャガーノート」のある場面を思い出した。船に爆弾が仕掛けられたと知り、客船の乗客たちは不安を隠せない。そんな乗客たちを励ますように「みんな、盛り上がろうぜ!」と一人奮闘する太った船員がいる。白けている乗客たち。しかし、一人の婦人が立ち上がり、彼とダンスを始める。それを見た他の乗客も一組、また一組とダンスに加わっていく・・・。船の深層部では爆弾処理班による決死の爆弾解体作業が行われている最中、大きな不安を抱えたまま踊るたくさんのカップルの姿が「死」というデッド・エンドに向かって生きていくわたしたち人間の人生のはかない命の燃焼のように見える名場面だ。
きっと今、わたしたち芸能に携わる人間がしなければならないのはこの太った船員のような行動なのではないかと思い至った。不安はたくさんある。肉親や友人を亡くして深い悲しみの底にいる人もいるだろう。しかし、死者を悼みながらもいつまでもメソメソばかりもしていられない。環境に関する危機感を持ちながらも、怯えてばかりいるのもつまらない。わたしたちは力毎日を力強く生きていかなければならないのだ。
そのように思い至り、今日からまた脳天気なことをこのblogに綴っていこうと思う。わたしはこれを読んでくれるあなたが「いさをサンは元気だ。わたしも頑張ろう!」と思ってくれることを願ってやまない。
あなたがわたしの差し出した手を取り、一緒にダンスを踊ってくれますことを。

黙祷と自粛

毎日更新を心掛けてblogを書いてきましたが、東北の地震の被害状況を知るにつれて、言葉を失いました。地震そのものではなく、津波によってこんなにたくさん人が死んでしまうとは・・・。そういう想像力に著しく欠けていたのです。また二次災害としての原発の事故の発生。電力も不足とのこと。いくら個人的な日記とは言え公に脳天気な発言することを自粛しようと思ったので、しばらくblogはお休みします。

天災と御礼参り

いつかは必ずやって来るとわかっていても、いざやって来るとびっくりしてしまうのが地震である。それはちょうど、いつか御礼参りにやって来るとわかっていても、いざやって来ると慌ててしまう復讐者に直面した時のようなものか。
ここ数日、東京にいても地震が多いが、わたしは地震に直面しても余り動揺するタイプではないような気がする。地震に対して鈍感と言うか、不感症と言うか余り大きなリアクションができない。それと比べるならゴキブリが目の前に現れた時の方が動揺するし、よほどリアクションは大きい。ひゃあひゃあ言ってしまう。
とは言え、2011年3月11日の14時46分に地面が揺れた時はわたしなりに動揺した。まず予兆があり、次に何が来るのかを待つ瞬間のアノ感じは、潜水艦において敵駆逐艦の爆雷攻撃が始まる前の瞬間のアノ感じに似ている。もちろん潜水艦に乗っていて敵駆逐艦の爆雷攻撃を受けた経験はないが、映画を通してアノ感じは知っている。息を詰めて待っていると・・・「ドーン!」と衝撃が来る。
あの時、わたしはスポーツ・クラブでシャワーを浴びていたのだが、フリチンでシャワールームと更衣室をうろうろと行き来する全裸のわたしの姿は最高にステキだったと思う。

天災はどうしようもないものだは言え、東北地方の被害の状況をテレビで知るにつれて、大変なことがあの時、起こったのだと再認識する。被害にあった方々に心からお見舞い申し上げる。

いさを博士のサスペンス映画 案内 5

「週末は暇だから映画でも見たいなあ。けど何を借りてこようかなあ。昔の映画でいいからキリリと引き締まったタイトなサスペンス映画が見たいなあ」と思っているアナタへ。映画博士のわたしが飛び切り面白い映画を二本立てでご紹介しよう。題して「いさを博士のサスペンス映画案内」。
今日は「ニック・オブ・タイム」(1995年)と「張り込み」(1987年)だ。ともにジョン・バタム監督が作った小粒だがキリリと引き締まったサスペンス・アクション映画。
「ニック・オブ・タイム」はブレイクする前のジョニー・デップ主演。得体の知れぬ男女に幼い娘を人質にされた会計士が、理不尽な州知事暗殺を余儀なくされる過程を描くサスペンス。得体の知れぬ男をクリストファー・ウォーケンが怪演。劇に流れる時間と上映時間がピッタリと一致してドラマが進行するという趣向もサスペンスを盛り上げていて効果的。「ザ・シークレット・サービス」や「トゥルー・ライズ」でも使われた実在するロサンゼルスの”ウェスティン・ボナベンチャー・ホテル”が舞台になっている。タイトルは日本語にすると「時間通りに」という意味。
「張り込み」は脱獄したとある凶悪犯人の恋人の部屋を向かいの家から監視することになった二人の刑事を主人公にしたコメディ・タッチのアクション映画。刑事を演じるのはリチャード・ドレイファスとエミリオ・エステベス。邦画にも松本清張原作の「張込み」という名作があるが、これはそのアメリカ版の趣。悪戯小僧のような刑事たちの行動が楽しい。また、監視されるヒロインを演じるマデリン・ストーがとてもキュートで綺麗。ジョン・バタムという監督は、わたしが初めて女の子とデートで見に行った「サタデー・ナイト・フィーバー」の監督でもあるのだが、毛色の違うこれらの映画をそつなくまとめることができるすぐれた職人監督だ。

是非、ご覧あれ。

地震の被害が拡大している様子。わたしに何かできるわけではないけれど、被災地の人たちの救援と被災地域の一刻も早い復旧を願う。

舞台告知~その1

Nana Produce Vol.3
『知らない彼女』
■作・演出/高橋いさを(劇団ショーマ)

■出演:岡安泰樹 浜谷康幸 重松隆志 田崎那奈 南部哲也/児島功一(劇団ショーマ) ゲスト:上瀧昇一郎(劇団空晴)

☆東京公演☆
日時 2011年5月25日~31日 
場所 東京・下北沢Geki地下Liberty
25日(水)14時開演、19時開演
26日(木)19時開演
27日(金)19時開演
28日(土)14時開演、19時開演
29日(日)14時開演、19時開演
30日(月)19時開演
31日(火)14時開演、19時開演

☆大阪ロクソドンタフェスティバル☆
日時 2011年6月3日~5日
場所 大阪・ロクソドンタブラック
3日(金)19時開演
4日(土)14時開演、19時開演
5日(日)13時開演、18時開演

■物語
とある殺人事件の容疑者として逮捕された男。男の弁護をすることになった弁護士の平田は調査の末に意外な真相を知ることになる・・・。
Nana Produceが贈る高橋いさをの書き下ろしによる報復と処罰をめぐるサスペンス・ミステリー。

もうひとつの殺人、
もうひとつの嘘、
もう一人の女。

■チケット代金
全席自由席
前売3500円
当日3800円
※25日マチネのみ
前売3000円
■チケット発売日
3月20日(日)
■チケットぴあ
予約受付0570-02-9999
Pコード411-586
■お問い合わせ
09072094089
09072094089@docomo.ne.jp

いさを博士のサスペンス映画 案内 4

「週末は暇だから映画でも見たいなあ。けど何を借りてこようかなあ。昔の映画でいいからキリリと引き締まったタイトなサスペンス映画が見たいなあ」と思っているアナタへ。映画博士のわたしが飛び切り面白い映画を二本立てでご紹介しよう。題して「いさを博士のサスペンス映画案内」。
今日は「恐怖のメロディ」(1971年)と「フレイルティ~妄執」(2001年)だ。
「恐怖のメロディ」は俳優としても有名なクリント・イーストウッドの初監督作品。いわゆる「女ストーカー」ものである。田舎町のDJに扮するイーストウッドがジェシカ・ウォルターに追い詰められていく様子がスリリングに描かれる。後年、作られた「危険な情事」にとても似た内容だが、わたしの好みだとこちらの方がコワい。今やアメリカ映画の大御所になったイーストウッド監督の手腕はこの作品でも充分に発揮されていると言うべきか。エロール・ガーナーの名曲「ミスティ」が効果的に使われている。
「フレイルティ~妄執」は同じく俳優のビル・パクストンが自ら監督して作ったサスペンス映画の佳作。パクストンはジェームズ・キャメロン監督の盟友らしく「ターミネーター」の冒頭でシュワに衣服を強奪されるチンピラの一人を演じていたりする。主演はマヒュー・マコノヒー。「評決のとき」の誠実な弁護士役が印象的だった俳優だ。
FBIの本部に一人の男が訪ねてくる。男は捜査官に自分の弟が殺人を犯したと告白をする。その告白の内容は・・・。
小品だがとてもよくできたサスペンス・スリラー。空想的な要素もあるけれど、殺人者の主観というのは、この映画で描かれるように「彼にとっては紛れもない真実」という場合が多いのではないか?
二つの作品は全然違う作品だが、俳優の監督作品である点、低予算である点、ともにスリラーである点などの共通点がある。

是非、ご覧あれ。
     *
大きな地震にびっくりした昨日。最初は眩暈だと思った。けれど、すぐに揺れてあるのはわたしではなく壁だとわかった。
そして、わたしは裸だった。わたしは裸のまま立ちすくんだ。観測史上最大のマグニチュード8.8だという。関東大震災よりも大きな地震らしい。亡くなった方々の冥福を心より祈ります。

古本ロマン

古本屋が好きだ。古本屋があると、ゴキブリホイホイにひっかかるゴキちゃんのようについふらふらと店へ入ってしまう。
ゆえにわたしの好きな町というのは当然、古本屋が充実している町ということになる。神保町が大好きなのはそのせいだ。
なぜそんなに古本屋が好きなのか? 恰好つけて言えば先人たちが書き残した「知識」というものに対する憧れと畏敬の気持ちが非常に強いということだと思う。
長い間、いろんな町の古本屋に出入りしていると、だんだんその古本屋の店主が目利きかどうかがわかってくる。付けられた値段によってである。「おっ。これは珍しい」と手にとった古本に適正な値段がついていると、チラリと店主を見てわたしは心の中でつぶやく。
「オヌシ、なかなかできるな・・・」
先日、住まいのある町の古本屋の100円均一の雑本コーナーで掘り出し物を発見した。
「迷路と死海-わが演劇」寺山修司著。白水社刊。1976年に出版された黒い装丁がカッコイイ寺山の演劇論集だ。
芝居などに何の興味もないアナタには何の価値もない本だろうが、何年も前にわたしはこの本を捜し求めていろんな町の古本屋を尋ね歩いた経験があるのだ。どこの店でいくらだったか忘れたが、かなり高額な値段がついていたこの本を発見、大枚をはたいて購入し、喜び勇んで読了した。その寺山の幻の演劇論集がわたしの町の古本屋でひゃひゃひゃひゃひゃひゃくえんで売っているのだ!
出版されてからすでに35年も経っているからこういうこともあるのだろうが、ひゃくえんにはびっくりだ。と言いつつすでに持っているにもかかわらず、値段に惹かれてまた買ってしまったのだが。ワハハハハ。

どちらにせよ、古本には新刊本にはないロマンがあると思う。

言葉人間

わたしがもの書きになってしまったルーツは日記のせいである。日記をつけ始めたのは中学生くらいだからキャリアはとても長い。とは言え「毎日欠かさず」といったものではなく、気が向いた時につけるようなものだ。今思うに、その日あったこと、その日感じたことを文章にするという作業を続けたことは、フィクションを作る上で大変に役に立ったと思う。
話は変わるが、「人間にはいろんな記憶の仕方があるのだなあ」と改めて気付かされたのはずいぶん前のことだ。母校である日芸の近くにある馴染みの居酒屋で劇団の女優のOと酒を飲んでいた時のこと。会話が「過去付き合った男の何を覚えているか」という話になった。わたしが「そりゃそいつがしゃべったことじゃないのか」と言うとOは「そんなの全然覚えてない」と笑った。「じゃあ何を覚えてるんだ」と意外に思って尋ねると彼女は「その日、彼が着ていた服とか髪型とか。その日の風景とか」と応えたのだった。
わたしは軽いショックを受けた。わたしの過去に関する記憶は少なくともそういう方向で働かないからだ。わたしの記憶は「絵=ビジュアル」ではなく「言葉=バーバル」によって覚醒する。だからわたしにとって日記=忘備録は重要だったということだと思う。
世の中にはいろんな人がいて記憶の仕方も千差万別。そういう意味では匂いによって過去を記憶していく人もいるだろうし、触覚によって過去を記憶する人もいるのだろう。とても不思議だが面白いものだと思う。

わたしがブログに写真=ビジュアルを載せない(正しくはやり方がわからず載せることができない)のは、わたしがOと違って完全な言葉人間だからである。

霧の国の人たち

かつて劇団ショーマで「MIST~ミスト」というタイトルの芝居をやったことがある。タイトルだけ決まっていて、内容は後からできた脚本だ。(笑)”MIST”という名前の高価な宝石をめぐる強奪アクション演劇である。
MISTとは本来「霧」を意味する。ミスト・サウナとは霧のサウナのことだ。
話は変わるが、謎解きの推理小説の本場はどこの国かご存知か。英国である。イギリス人は謎が大好きな国民なのではないだろうか。では、なぜイギリス人は謎が好きなのか? それは霧のせいだとわたしは思う。ロンドンは霧が濃い街だと聞く。霧が身近にあるイギリス人たちは、霧の中にいろんなものを想像した人たちではないかと思う。霧に覆い隠されてそこに何があるのかわからないからこそ頭=想像力を使う。そんな霧の国の人たちが謎解きの推理小説=MYSTERY(ミステリ)に多大な関心を持つのは事の必然だ。
ロンドンは”切り裂きジャック”を生んだ都市だ。”切り裂きジャック”は実在したかもしれないし、実在しなかったかもしれない。けれど、重要なのは”切り裂きジャック”の実在の有無ではなく、”切り裂きジャック”を生んだロンドンという場所の特異性である。もっと言えば、”切り裂きジャック”を必要とし、育てたたイギリスの人たち想像力である。

言うまでもなく、MYSTERYの語源はMISTに由来する。

すぐれた役作りとは

わたし=高橋いさをを知っている人は、わたしにどんなイメージを持っているだろうか? 多くの人が演出家としてのわたしと接していることが多いはずなので、だいたいイメージは次のようなものではないかと思う。

〇神経質そう。
〇怒ると恐い。
〇抜目ない。
〇論理的。
〇皮ジャン。
〇白ではなく黒。

それはそれで間違っているとは思わないけれど、正直に言うと全然違う。そういう要素もあることは認めるけれど、例えば、わたしが実は非常に動物好きだということを知ったらあなたはどう思うだろうか? 街角で出会った猫を撫でたくてその猫を追い掛けているわたしの姿をあなたは想像できるだろうか? 近くの家の飼い犬とじゃれあっているわたしの姿を想像できるだろうか?
何が言いたいかというと、人間を職業の先入観だけで判断することは大きな間違いだということを言いたい。現実の人間は大概大きなギャップを持って生きている。医師と言えば冷徹で、殺し屋と言えば残酷で、ホステスと言えば計算高く、警官と言えば正義感が強く、役人と言えば態度がでかいというようなイメージは紛れもなく先入観=通念である。立体的な人物像とは、そうい先入観を覆す要素をそれと同時に体現できた時に生まれる。映画「レオン」の殺し屋が共感を呼ぶのは、あの殺し屋が殺し屋という我々の先入観を覆し、立体的に造形されているからに他ならない。あいつは人殺しだが、観葉植物を育て、牛乳を飲み、ミュージカル映画が好きで、困っている女の子に優しい殺し屋なのだ。つまり、他人を複眼で見る力の必要性。
翻って、ここにすぐれた「役作り」の秘密があると思われる。