私が病院に「発達障害かどうか検査して下さい」と殴り込みをかけるように病院に駆け込んだのも今や昔の話であるが、
当時はもう会う人会う人との会話もコミュニケーションも上手くいかず当然仕事もガタガタだったので、
発達障害に詳しい人に話を聞きに行ったら病院に行って調べるべきと言われたので、
近くの心療内科に走り込んで発達障害について聞いて支援センターでちゃんとした検査を受けて、結果は自閉症スペクトラム、
当時の表現ならば広汎性発達障害又はアスペルガー症候群と診断されたものである。
知的には障害はないがそれでも人の感情は調べても理解できず、読み間違え、場面に不適切な行動を繰り返したあげく、
無能なのが嫌でも明らかになってどん詰まりに辿り着いてしまったから白黒つけるしかない、という切羽詰まった結果である。
実際出来ることはコミュニケーション以外、なのだが世の中はコミュニケーションの比重が大きいために必然的に取り残されやすい。
自分の世界にひきこもって文章を書いているが、外に出るならば遠慮無い言論にさらされるし、なんなら誹謗中傷に激突するだろう。
たとえSNSの意味をなさなかったとしても安全地帯は保ちつつ自己表現する場所がないといけない。
結果ブログを書き殴っておきながら誰もフォローしないといういびつな構造になっているわけである。
リアルな生活でも人の噂とか愚痴とか聞くとメンタルのテンションが下がっていくのがわかる。
そういうのを抜きにして話を構成出来ないのかこの人々はなどと思って過ごしている。
お蔭様で通っている場所ではこの人何も好みを話したりしないんですけど、となる。何を考えているかわからないと思われているかもしれない。
世の中の趣味や動向について興味はあるが、近くの人間の関係に興味が無い、という何のために生きているのか、という構造になっている。
人間力が低くて他人の好き嫌いの話で盛り上がるなんて出来ない人間が、安易に人の好き嫌いを言えば言質を取られたのも同然だと思っている。
それなら何も喋らない方がいい、感情的なことばかり話していたら本当に疲れてくたくたになる。
メンタル的に地獄絵図である。人との付き合いを減らさなければ乗り越えられないのに世の中は人との付き合いを広げるアプリが山盛りである。
当然使えば使うほど余計に疲れる。疲れないのは自分と向き合っている時だけ、と言っても過言ではないかもしれない。
どうもあんまり失敗が続いたので人との関わりに対して相当抵抗が出来てしまっているようである。
それならそれで生きられる仕事があればいいがそう簡単には見つからない。
一人で出来る仕事はさほど多くない。物書きなんて溢れていて割り込むのも気が引ける。
佐村河内守みたいに自分の名前を出さない誰かの作品だけ貸してなんとかできる人に何かを提出して、
自分は裏でこっそりと「あれは自分が書いたものだ」などとひとりごつ位でいい。
自分が書いたと言えばそれをネタにして世間と立ち回らなければならなくなるから、これを回避する意味でも書くところだけに専念したい。
厄介なファンレターとか誹謗中傷は健常者にも平等に飛んで行くがメンタルをやられた人間に耐えきれるはずがない。
などと供述していずれは盾の役割をする人を立てて隠れてしまいたくなる。とても人道的ではない。
誠に遺憾である。