特に好きで障害者になったわけでもないのに、障害に負けるなとか世間では言われる。
成人してから生まれつきの障害が見つかった場合なんてどうすればいいのか。基礎基本の教育が何とかなる時期はとうに過ぎ去っている。
残されたのはメンタルの傷と不具合と世間との反りの合わなさでつもりにつもったメランコリックな気分である。
あまりにも多くの人と短時間にあう会合や式典とかあれば、前向きに休むことを検討しなければならない。
その自由もなければとても生きている気はしない。障害に勝つとか負けるとかいう話ではない。
合わないことを強引に進めても貰った傷が深くなるばかりである。特に障害のない人が障害のもつ弱点に深く突っ込んでくる場合には。
だから好きで障害者になったわけじゃない。気がついたらそうなっていた。どんな気持ちですか、と言われても分からん、と答える。
障害があってもあるとみなされない時期と、診断された後の時期は、意識に関わらず平等に障害が存在するが、価値観は根底から変わる。
いわゆる病識、というものであるが、あってもなくてももがいていることには何ら変わりはない。
むしろ適切な指導も何もないのを強引に乗り切った場合、困難を力業で乗り越えた反動で背負った傷は余計に増えているだろう。
障害が影響して仕事が出来なくても、診断されなければ困難と見なされないが、診断名がつかないから何とかなるわけでもなく、
診断を受けなければ自身の障害に対する意識や障害が自分にあることを前提にした考え方には決して至らない。
むしろ当たり前とか普通と言われるものがどれだけ当たり前ではなく、普通でもない、わかるけれどぼんやりとしかわからない、
勝手にわかった気分になるしかない、という物事がどれだけ多かったことか。
世界と自分とのズレは明らかに不利益なのに、それを不利益とみなしてはならないのか。
実力上負けて当然な物を負けることも許されないのか。凹んでもいられないのか。
合理的配慮はそういう場所にこそ必要な物であると思う。
誠に遺憾である。